礼拝の話

2020/07/27 

7月27日(月)聖書 ローマの信徒への手紙 14章1~3節 社会科 山脇

玄関を入った所に人権コーナーがあります。

今は外国にルーツを持つ人たちが、「はだいろ」を巡って悩み、悲しんだという記事が掲示されています。

芸能界やスポーツ界だけでなく、あらゆる分野で、海外から来られた方をルーツに持つ人がたくさん活躍し、多様性が、特定の地域・分野だけでなく、国という単位でみても、大きな力を生むことは歴史が証明しています。

長い歴史の中で、多様な人々と行われた交流が、新しい文化や技術を生んできたからです。

多様性をめぐって、アメリカ空軍士官学校の予備校で、黒人を侮辱する差別的な言葉が掲示板に書かれるという問題が起こりました。

士官学校のシルベリア校長はこの問題を重大な課題として受け止め、全生徒・スタッフ5500人を講堂に集めてスピーチを行いました。

「他者を尊重して敬意をもって接することが出来ない者は出て行きなさい。

自分には関係ないと思っている者は鈍感すぎる。

この国で起きていることに対して、こういう問題をきちんと話し合うことが大切ではないか。

あらゆる人種、あらゆる背景、あらゆる性別、あらゆる生まれ育ちの人間がこうして集まった。

その多様性の力があればこそ、われわれはその分だけ強くなれる。

そう考えることが侮辱し差別するよりももっと良い考え方だと思わないだろうか。

掲示板に何かを書いて、われわれのこの価値観を問いただすことなど、誰もわれわれの価値観を奪ったりすることなど、できはしない。

もし誰かの尊厳を尊重し、敬意と共に接することができないなら、出て行きなさい。

性別の違う相手を、それが男性であろうが女性であろうが、尊重し敬意をもって接することができないなら、出て行きなさい。

たとえどんな形でも、人を侮辱するような者は出て行きなさい。

人種が違う、あるいは肌の色が違う相手を尊重し、敬意をもって接することができないなら、出て行きなさい。」

非常に厳しい言葉ですが、シルベリア校長は、一人ひとりが自分のこととして考え、お互いに意見を出し合い、より良い関係を築くためには何が必要なのか考えることを伝えました。

誰かに責任を負わせたり、犯人を追及するのではなく、この出来事を通して、より良い集団を築いていくことを、シルベリア校長は求めたのです。

日本以上に多様な人々の集まるアメリカでは、人種の違いによって、または性をめぐって、様々な問題が起きていることが報道されていますが、同時に、そのような課題に真剣に向き合っている国であることも事実です。

「多様性」とは、何も人種や国の違い、性別のことだけを指すものではないと思います。

広く捉えると、考え方、趣味や趣向、主義・主張も含めて「多様性」だといえます。

そして、「多様性」を大切にするということは、「違い」を認めるということでもあります。

18世紀に活躍した啓蒙思想家にヴォルテールは今の時代にも通じる多くの言葉を残した人物ですが、その言葉の一つに、「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。」という言葉があります。

「多様性」を考えるにあたり、このヴォルテールの言葉は、私たちに基本的な態度・姿勢を教えてくれているように思います。

今日の聖書箇所にも、「違い」によって、その人を裁くのではなく、その「違い」を受け入れることの大切さが書かれてありました。

神さまは、一人ひとり違いのある私たちを受け入れ、その私たちの声を聴いてくださるのです。

違いを認めるのは簡単なことではありません。

特に、自分と違う考えや意見を認めるということは、自分自身を否定することのように感じるからです。

しかし、新しい考えやものの見方に触れること、その声を聴くことは、私たちの価値観や考え方を広げてくれるように思います。

聖書の言葉は、私たちに新たな気づきを与えてくれます。

神さまが私たちを受け入れてくださったことに感謝し、私たちも多くの意見や考え方に耳を傾け、その違いを受け止めることができるようになりたいと思います。

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