礼拝の話

2020/07/30 

7月30日(木)聖書 ルカによる福音書 11章1~4節 校長 小西二巳夫

夏休みの遊び・レジャーの定番といってすぐに思い浮かぶのはキャンプです。

キャンプの楽しみに食べることがあります。

キャンプ料理の定番はバーベキューでしょうか。

たいていは薪を焚いたり、火を焚いたりして料理をします。

火を焚く、焚火は漢字で「林の下に火」を書いて「たき」、それに続けて火を書いて「焚火」です。

木を焚くというのは楽しいものです。

ところが、焚火の火を書物の書に変えると、途端に楽しくなくなります。

焚火の焚に書と書いて「焚書」、本を焼くことになります。

いらなくなった本を焼くことではありません。

焚書は権力を持っている者が権力を使って自分たちに不都合な考えや思想を排除するため、一般市民がいろいろな考えを持たないようにするため、自分で考えて行動しないようにするために本を焼きます。

現代では本だけではありません。

権力者にとって不都合なスマホ、コンピュータのデータの強制的な削除もそれに当たります。

そんなバカなことが起こるはずがないと思いたいのですが、実際に起こっているのが香港です。

新しい法律によって、市民の自由が大幅に制限されるようになりました。

その1つとして、香港の図書館は中国政府に不都合な本の貸し出しを停止しました。

飛行機で行こうと思えば数時間で行けるところで、私たちのごく身近な場所でふつうに生きる権利や自由が奪われている現実があります。

私たちの自由を奪うのは、新型コロナウイルスのようなものだけではありません。

本を焼く、スマホを取り上げるという焚書によって簡単に奪われることになるのです。

このことに強い危機感を持った一人に作家の高橋源一郎さんがいます。

4月からNHKラジオで彼の「飛ぶ教室」という番組が始まりました。

このタイトルはドイツの作家ケストナーの小説のタイトルです。

1920年代からドイツで人気の作家になり「2人のロッテ」の作者です。

彼の本はヒトラー率いるナチスドイツを批判していると受け止められ、書いたすべての本を焚書されることになりました。

ケストナーの「飛ぶ教室」を読んで感じるのは、本は「対話」の塊だということです。

本を読むことは登場人物と一対一で対話すること、作者と対話すること、そして、その本の言葉や内容を通して自由に考える自分と対話することになります。

本を読むと必ず気になる言葉や心に残る言葉に出会います。

キリスト教は言葉を大切にする宗教です。

聖書には次のように書かれています。

「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」

本を通して言葉と対話することは、神と対話することだということです。

キリスト教は祈ることを「神との対話」と考えています。

そこでイエスは次のように祈りなさいと話されたのです。

イエスはこの祈りを通して、祈ることの大切さを話されているのです。

弟子たちに話すと同時に私たちに言われているのです。

私たちにすべての国とすべての人と対話しなさいと言われているのです。

この世界のために祈りなさいと言われているのです。

軍事力や強い力によって、平和が作り出せないことは歴史が物語っています。

今、軍事力や強い経済力を持った国や人々がその力で相手を従わせようとしています。

その行きつく先は戦争です。

その危機が目の前に迫っているのが今です。

その愚かな戦争を食い止める力があるとしたら、それは対話だけです。

そして祈りです。

たくさんの人の祈りが1つになる時、それが大きなエネルギーになります。

平和を作り出すエネルギーになります。

そして平和を壊そうとする力を防ぐエネルギーになります。

このようにたどっていくと、私たち一人ひとりが本を読むことがどれほど大きな意味を持っているのか、どれほど価値のある行為なのかに、改めて気付かされます。

夏休みという長期休み、まさに本を読むための時間ということができます。

本を読むことを通して、人は必ず成長します。

それでは8月31日、2学期始業礼拝でお会いしましょう。

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