礼拝の話

2021/07/06 

7月5日(月) 聖書 マタイによる福音書 6章25節 英語科 楢本

「頑張る」とは物事に一生懸命取り組む、手を抜かず、適当にごまかしたりせず、今持っている全力を尽くして事に当たる、努力する、ということです。

でも、あんまり「頑張れ」「頑張れ」と言われると苦しくなってしまうことがあります。

一生懸命やっているつもりが、なんだか袋小路で迷子になって、どうしてよいかわからなくなってしまう、そんな時があります。

これは、「頑張る」のスタートとゴールが間違っていることが原因です。

頑張って努力しなければいけない、と自分の力だけで頑張っている時に、人間はだんだん正しいことがわからなくなってしまうのです。

聖書の語る人間観は全く反対です。

人間は自分で完璧に良い人間になることはできません。

それはどんなに頑張っても、自分では直せない悪い所をもっていて、人間にはそういう弱さ、限界がある、というのが聖書の考え方です。

でもその弱さを神のひとり子であるイエスさまが負ってくださいました。

だから人間は神さまに「大丈夫だよ」とゆるしていただいているのです。

しかも神さまは私たち一人ひとりに豊かな賜物をくださっています。

賜物とは一人ひとりに与えられている才能、いろいろな能力のことです。

私たちは神さまに「大丈夫だよ」と言ってもらったこと、色々な能力が与えられていることがうれしくて、一生懸命頑張るようになりました。

それが、私たちが「頑張る」本当の理由、ゴールなのです。

私たちが自分の力で何とかしようと、あくせくしている時、「思い悩むな」という今日の聖書の言葉がかけられたら、とてもホッとします。

「思い悩むな」という言葉は、実は神さまから私たちへの慰めと祝福の言葉なのです。

イエス・キリストはまさに、私たちの代わりに悩まれました。

私たちは自分の失敗を自分で贖うことができない弱い存在です。

人となってこの世に来てくださった神の御子キリストは弱い私たちとともに歩み、見捨てられた者たちを癒してくださいました。

イエス・キリストは私たちの悩みを共にしてくださったのです。

だからこそ、この「思い悩むな」という言葉が出てくるのです。

この箇所の続きに、野の花や空の鳥が出てきますが、野の花や空の鳥は頑張っているのでしょうか。

神さまから与えられた能力を使って、精一杯生きているだけです。

私たちも同じように精一杯生きたいと思います。

気がつけば、それが頑張っている姿になるのかもしれません。

明日から期末テストに入る皆さんには、きっと「頑張って」という声がたくさんかけられることでしょう。

そして皆さんも「うん、頑張る」と言葉を返すことでしょう。

そんなふうにして本当に、あっけらかんと「頑張って」ください。

自分にすぐ怠けたくなる弱さがあることも分かっています。

でもダメな自分にぐずぐずと悩んでいる必要はありません。

「思い悩むな」とイエスさまが言ってくださっているからです。

思い悩まず、与えられている力に感謝して、眼の前の課題に取り組んでみましょう。

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