礼拝の話

2024/09/12 

9月10日(火) 聖書 エレミヤ書 29章11節 音楽科 三浦

わたしは新聞を読むことを日課にしています。

9月5日のこの「ひと」の欄に取り上げられていたのは、外国の方でした。

小見出しの紹介にはこうありました。

「ルワンダ出身で順天堂大学の学部長に就任」「勉強に国籍や肌の色は関係ない」。

ルワンダという国は、今から30年前に、大きな悲劇を迎えた国でした。

フツとツチという2つの民族の中のフツ族過激派が、ツチ族の人々とフツ族穏健派の人々の虐殺を始め、その年の7月までの約100日間に80万から100万人の犠牲者を出したとされています。

新聞の記事にあった方も、この内戦でお母さまをはじめ親族約50人を失い、日本に逃げてこられた方だったことがわかります。

中国の大学に留学中にルワンダの大虐殺が起き、奨学金も打ち切られ、ビザの更新もできなくなり、不法滞在になりかけたときに、つてをたどって日本に来たといいます。

わたしたちは一人ひとり異なる場所から、ここに毎日集められ、礼拝から1日を始めます。

新しい学習に取り組み、壁にぶつかり、やる気がなくなってしまうこともあります。

体育大会の行事を前に、自信がなくなり、何もかもが嫌になることもあるでしょう。

でも、わたしたちにはその日1日、学ぶ機会、というものが備えられていることも事実です。

前回、関東大震災の時の事件について話しましたが、そこから数十年後の今、「人の縁に助けられた。教育で日本に恩返しをしたい」と語り、大学の学部長として歩みを始めた方がいることから、わたしたちは日本社会だけでなく、世界中の出来事に目を向け、自分の本当の隣人とはだれか、どのように自分たちが生きるべきか、ということをしっかりと考える必要があるのだと思います。

今朝の聖書の箇所には、神さまがたてられたわたしたちへの計画は、平和の計画である、災いの計画ではなく、将来と希望を与えるものであるといいます。

モヨンサバ・フランソワさんも幼い頃、また留学中の自分の家族に降りかかった悲劇、そして、自分のこれからの人生を考えた時に、なぜこれほどまでに神さまは次から次へと自分に不幸を負わせるのだろうと思ったこともあったことと思います。

でも、その中で、道が拓かれ、55歳になって、ルワンダから遠く離れた日本で、大学で、教えることとなりました。

わたしたちが大学教授になる、とか、何かの地位に就く、ということではなく、1つ1つ毎日の学びを重ねることで道が拓かれる、ということでしょう。

しっかり学ぶことを今日1日も積み重ねたいと思います。

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