礼拝の話

2024/10/01 

9月11日(水) 聖書 ルカによる福音書 16章9節 日本基督教団 瀬戸キリスト教会 西村 嗣牧師

2学期より日本基督教団 瀬戸キリスト教会の西村牧師に礼拝をご担当いただきます。

 

私が高校生だったのは30年ほど前のことになります。

自宅から自転車で40分かけて通っていました。

勉強は自分では真面目にやっているつもりでしたが、あまり点数の取れない生徒でした。

そんな私はクラスの中心にいるというよりは、クラスの中心で起きていることを観察しているような感じでした。

そんな中で一人「さみしがりや」としてイジられている人がいました。

言葉の端々にツッコミを受けて「お前さみしがりやだから」と言われたりしていて、ちょっと可哀想だなと思っていたのですが、私はただ観察しているだけでした。

一か月位そんなことが続いて、彼の周りは友だちいっぱいになりました。

聖書は「友達」のことをどう言っているか、と「友達」検索をしてみました。

すると新約聖書では、「友」と「友人」を除外して、ルカによる福音書の8箇所にしか「友達」が出てきません。

この「友達」という言葉で考えると、私は一緒に聖書を読む友達が欲しいと思っています。

こんなに面白い本、興味深い本はないと思っています。

目にするのは紙にインクで印刷された文字ですし、みんな同じものを見ているのですが、ここから受ける印象は人それぞれです。

人それぞれだという所が面白いし、また人それぞれ読み方がある中で、ここが中心なのでは、という所が分かってきたりする所は、とても面白いところです。

一生かけて読む価値のある本です。

私はしばらく毎週朝の礼拝に来ますし、教会に居ますから、一緒に聖書を読みましょうと声をかけてもらえると嬉しいです。

そういう意味では、私も「さみしがりや」なのかも知れません。

そこで、私はこう思った、わたしはこういうふうに読んだ、という感想などをシェアできたら良いなあと思います。

今朝の聖書の箇所は、聖書の中でも有名な難読箇所、読みにくい箇所だと言われていますし、読み方についても色々と議論のあるところですが、ここで言える一つのことがあります。

それは、自分の持っているものを、本当に自分の将来のために使いなさい、ということです。

友達作りのためにできること、自分だったらこうしてあげる、そういうことを考え始めながら、一日を始めさせていただきましょう。

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