礼拝の話

2019/09/13 

9月12日(木)聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章20~22節 日本基督教団 土佐教会 成田信義牧師

教会学校の礼拝で聞いた、ある中学校の体育祭での実話です。
クラス対抗で大縄跳びの連続回数を競う種目について、寡黙で運動が苦手なアベチャンの参加の仕方をめぐって、クラスは話し合いを始めます。
これまでは本人の了承のうえで、応援係にまわっていました。
これはこれでスタートとカウントの号令をかける大切な役割です。
予行練習では学年トップ、優勝する気満々でいました。
ところが、本番前日のこと、本当にこのままでよいのかと、一人のクラスメートが口火を切ったのです。
応援係でいてもらうことがやさしさなのか。
一緒に跳ぶことが平等なのか。
クラスは二分します。
その葛藤の中で、もう1つ汲み取ろうとされることのなかった大切なものに気づきます。
それは、知らず知らずのうちに置き去りになっていたアベチャン自身の気持ちでした。
アベチャンの想いは「・・・跳びたい」でした。
これがクラスを1つにします。
迎えた当日、アベチャンは大縄の横に並ぶクラスの列にいました。
直前の練習では一度も跳べませんでしたが、本番ではクラスメートのサポートで何とか跳べるようになります。
とはいえ、他のクラスが回数を重ねる横で、何度もゼロに戻る繰り返し。
それでも連続回数を重ね始めた頃には、その列に自らの力で跳び始めたアベチャンの姿がありました。
結果は最下位。
成績発表の際、1位や2位のクラス以上にみんなが跳び上がって喜んだのは、アベチャンのいるこのクラスでした。
この時期、毎年思い起こすエピソードです。
「みんなで跳んだ」で検索すれば、ユーチューブにアップされていますし、本で読むこともできます。
自らの想いから一人ひとりが真剣に力を発揮しようとする姿ほど、美しく爽やかなものはありません。
1位は確かにすごいです。
しかし、一番になるだけではない味わえない大切なものを、このエピソードは思い出させてくれます。
「1人の10歩より10人の1歩」によって実を結ぶ成長や可能性もあるのです。
チャレンジする皆さんの健闘を祈ります。
そして、勝っても負けてもお互いの健闘を心から尊び讃え合う経験は、皆さんと自信と充実になることと思います。

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