礼拝の話

2024/10/01 

9月12日(木) 聖書 創世記 1章1~5節 英語科 畠中

8月も半ばを過ぎると、雲の様子も吹く風も明らかに変化して夏の終わりを感じさせるものとなりました。

いつものようにスーパーで買い物を済ませると、私は突然強い焦燥感にかられました。

無性に何か行動を起こしたくなり、そのまま私が向かった先は、スーパーと同じ建物の中に併設されている本屋さんでした。

「このコーナーにある本全部ください」と言ってみたい衝動にかられながら、本の表題や表紙カバーの絵や「今話題の本」などと本の帯に書かれたお勧めの言葉など、少しでも気になると感じたものを次々に手に取り、冊数も確認せずにそのままレジに持って行きました。

本を選んで支払いを済ませるのに、ものの5分もかかりませんでした。

レジで初めて、購入した本は6冊だとわかりました。

日頃、内容も冊数も値段も気にせず本の購入を即決することはなく、じっくり考えに考えて、結局買わずに帰ることもある私にとって、なんと大胆なことをやったんだという驚きとともに、ちょっとした冒険をやり遂げた達成感のような不思議な気分になりました。

本を購入後に帰宅してからも、相変わらず訳の分からない焦りに囚われていた私は、少しの空き時間も見逃さず貪るようにその6冊を読みました。

その結果、想定外の速さで6冊を読み終えたのですが、違うジャンルで違う作家の作品を短期間で読んだせいでしょうか、いつもなら考えもしないような感想を持ちました。

どんな感想かと言うと、どの本も面白かったけれど、6冊全てが合体したようなお話があれば読んでみたい、というものです。

でもそんなお話を作るのは不可能でしょうと、思った時、はっとしました。

そんなお話があることを思い出したのです。

それは聖書です。

聖書こそまさに、全てのジャンルが合体していて奇想天外でわくわくして、どきどきして、しみじみと考えさせられ、穏やかな気持ちにもなる読み物です。

聖書は1つの読み物としても実に読みごたえのあるものだと改めて思いました。

しかもそれだけでは終わらないのが聖書のすごい所だということも今回よくわかりました。

他の本のように、一度読んで、ああおもしろかった、で終わりにはできないのです。

読んだ後で、あそこの箇所では本当は何が起きていたのだろう、とか、あそこの場面での神さまの言葉の真意とは何だったのだろうか、とか色々疑問がわいてきます。

読み終わっても、また始めから読みたくなりました。

もし無人島に行くことになって1冊だけ本を持って行ってもよいと言われたら何を持って行きますか、というアンケートに、聖書と答えた人が世界中で圧倒的に多かったと言う話を以前聞いたことがありますが、確かにそうだろうと実感しました。

色々な読み方をして楽しむことができるし、何度読んでも飽きることが無い、読むほどに深まっていく、そんな聖書の魅力を知ることができたのはこの夏の大きな収穫でした。

これからも聖書を読み、神さまの愛を深く知っていきたいと思います。

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