礼拝の話

2019/09/18 

9月18日(水)聖書:マタイによる福音書 5章38~39節 日本基督教団 高知東教会 野口幸生牧師

今日の聖書の箇所、割と有名なイエス様の言葉だと思います。
右の頬を打たれたら、左の頬をも向けよ。
やられたらやり返すのが当然の世界に生きていたら、は?という話です。
何のために、それをやるか、ということです。
イエス様が何のために十字架の死を受け入れて下さったかということです。
それは相手のためです。
人は誰かのために生きると、生きる態度が変わります。
命の意味が変わっている、誰かのための命になります。
前回のお話、クリスマスのあと、高知に戻って正月を迎えました。
中高一緒だった仲間と初日の出を見に行くことにしました。
そして、ここでお話した同じ話を仲間にも話して、「聖書えいぞ。お前らも読まんかや。」と話している最中、いきなりバシッと叩かれました。
「どうした。右の頬を打たれたら、左も向けんかや。キリストの教えやおがや」と、ニヤニヤ、ドヤ顔でいうんです。
ショックでした、が不思議というか、確かに、と妙に納得して、叩かれて、それでもしこいつが聖書を読み始めたら、ぜんぜんかまんと思って、自然と私もニヤッとして「おんしゃあ、やるねゃ。聖書よう知っちゅうじゃいか。ほい、痛うするなよ」とかいって、笑いながら左の頬も出したら、相手も笑ってました。
初日の出から帰ってから、南国教会に行きました。
中1から牧師夫人に英語を習っていたので、挨拶に行かないと、と思っていったら、違う若い人が出てきて、先生たちは大津の舟戸で新しい教会を始めたというんです。
牧師夫人に「先生、留学先のアメリカでイエス様を信じた」といったら、神さまがお祈りを聞いてくれたねぇとニコニコしていいました。
そういえば、英語の学びを始める前に、必ず祈って始めていました。
その時は、意味も分からんと思っていたのに、神さまはここにも私のために祈る人を用意してくれていました。
皆さんのためにも、神さまは意味がわからないくらいの新しい世界を用意してくださっているのです。

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