礼拝の話

2024/09/10 

9月2日(月) 聖書 使徒言行録 9章1~7節 校長 小西二巳夫

オリンピックに引き続いて、先週からパリでパラリンピックが開催されています。

私はパラリンピックの種目の中で陸上競技に関心があります。

その中でも義足のランナーが走る種目が好きです。

前任校で進路面談をしていた時、義肢装具支援学科を志望する生徒がいたことを思い出していると、新潟の知り合いから何冊か本が届き、その中に「神様には負けられない」という挑戦的なタイトルの本がありました。

それは義肢装具士のための専門学校で学ぶ人が3人の話でした。

これはまさに神の導き、読まないでどうするとすぐに読み始めました。

本のタイトル「神様には負けられない」は3人が義足の写真家とのやり取りの中から出てきた言葉でした。

この写真家はキリスト教の高校に通っていて、聖書の授業があって、試験に出るから聖書のあちこちを暗記しており、事故で義足になってからは、人間の身体はほんとによくできていると思うようになったというのです。

それを次のように表現しました。

「キリスト教学校に通っていたから、神が命の息を吹き込んで人間を作ったと、心の中で思っている。そして義肢装具士はみんな神と同じことを試みていると考えている」と。

その言葉に反応した一人が言ったのが、「うちらのライバルは神さまってことですか。相手に不足はない。そして神様には負けられない」という言葉でした。

神さまには負けられないとは、神と同じように義肢を必要としている人にピッタリ装着して安心して動かせる製品を作りたいとの心意気を表した言葉です。

義肢を必要とする人を義肢ユーザーと言います。

3人は義肢ユーザーという弱さを持つ人、不自由さを抱えた人の不を取る、つまり性能の良い義足や義手を作るために日々の学習と実習に真剣に取り組みます。

この場合の義肢ユーザーは彼らにとっての隣人です。

隣人のために心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くすことで、人は良い方向に変わっていきます。

人は他者のために自分の力を使うことによって、本当になりたい自分になっていけることを3人の姿から実感できます。

イエスは隣人愛に生きました。

隣人愛に生きたイエスによって多くの人が救われ生きる力を取り戻します。

その1人が今日の場面で登場するパウロです。

イエスの隣人愛に救われたパウロは、それを喜びとして、今度は多くの人のために働きました。

今日から2学期が始まります。

この2学期を隣人愛に生きた「イエスに負けられない」との意気込みを持って過ごしたいものです。

それができたら最高の2学期になります。

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