礼拝の話

2021/09/21 

9月21日(火)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章7節 社会科 山脇

今年の夏の甲子園は、奈良智弁学園と智弁和歌山という智弁学園同士の決勝戦となりました。

奈良智弁学園の最後のバッターがアウトになり、智弁和歌山が見事に優勝を果たします。

その優勝の場面、最後のバッターが三振に倒れて智弁和歌山が優勝した瞬間、「あれ?」と思いました。

三振を奪ったピッチャーは笑顔で小さくガッツポーズ、キャッチャーも笑顔で小さくガッツポーズ、他の選手は笑顔で整列に向かいます。

20年くらい前からでしょうか、優勝した学校は必ずと言っていいほど、ピッチャーマウンドに駆け寄り歓喜の輪を作り、全員が人差し指を立てて腕を上空に伸ばして、「一番になった!!」という喜びを体全体で、チーム全体で表現するようになりました。

もはやそれが当たり前のような風景になっていたのですが、今年の夏の甲子園ではその風景がなかったのです。

翌日の新聞記事やスポーツニュースを見て、なぜ、智弁和歌山の選手がピッチャーマウンドに集まらなかったのか理由が分かりました。

甲子園出場をかけた和歌山県予選の段階で、智弁和歌山の中谷監督は選手にある問いを投げかけます。

それは、県予選で優勝できた場合、ピッチャーマウンドに集まるかどうか、という問いです。

選手たちは真剣に考え、「勝った後はピッチャーマウンドには集まらない」という答えを出します。

その理由は、新型コロナウィルス対策もありますが、「礼に始まり礼に終わる」と言う考えのもと、まずは対戦相手に敬意を表すためピッチャーマウンドには集まらないというものでした。

負けた時の悔しさを知っているからこそ、相手チームのことを思って、まずはきちんと整列して相手チームに敬意を表す、という答えを選手自らが導き出したのです。

そこには、相手チームへの気遣い、試合に負けたチームの選手たちの想いを考えた智弁和歌山の選手たちが想像できます。

中谷監督は、自身が甲子園で優勝した時にピッチャーマウンドに集まり歓喜の輪を作った経験から、優勝した時に喜びを分かち合うことは、高校球児の夢であり憧れであることを誰よりも分かっていたと言います。

それでも生徒が自分たちで話し合い、集まらないという結論を出したことに、「夢、憧れを我慢した彼らを尊敬できる」とコメントしています。

今日の聖書箇所には、「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい」とありました。

ここでいう心に決めたとおりの行為とは、どのような行為なのでしょうか。

聖書には「喜んで与える人を神は愛してくれる」とありました。

心に思っている通り、喜んで誰かのために与えるということを今日の聖書は勧めています。

何か行動を起こす時、自分のことだけを考えるのではなく、ほんの少しでも誰かのことを思い、神から与えられた喜びを誰かに与えることができれば、本当に素晴らしいことだと思います。

今日一日の歩みの中で、ほんの少しでも互いに喜びを分かち合うことができればと思います。

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