礼拝の話

2024/10/02 

9月25日(水) 聖書 音楽科 三浦

先週、大学時代の後輩から嬉しい報せが届きました。

大学院への合格が決まり、無事入学した、というものでした。

40歳を目前にして、大学院での学びを得ることができた彼女には精一杯学ぶことを楽しんでもらいたいと思います。

このことから思い起こされるのが、今朝の聖書の箇所です。

彼女は代々続くカトリック教徒の家に生まれ育ちました。

大学卒業後は、シスターになるための時を過ごし、無事シスターになれたこと、カトリック学校で働いていることを知らせてくれました。

その間のやり取りは、ハガキのみ、でしたが、いつでも今があることを感謝して、自分のできることに誠実な様子が伝わってくるものでした。

そして、1年半ほど前に、「先輩…実は、わたし、大学院に行けそうなのです。もう、今更、と思う気持ちもありました。でも、せっかく学ぶ機会を与えてもらえるなら、やっぱりきちんとチャレンジしたいと思うのです。」と。

そんな彼女のここまでの人生、わたしにはわからない大変なこともあったのだと思います。

誰しも、思い通りに行く人生を歩むことはなかなかないことです。

彼女に、どのようなきっかけがあって、大学院への道が拓かれたのか、人の思いだけではない、神さまの御心が働いたとしか思えないようなことだったと思います。

本当に1つ1つのことに誠実に、まっすぐに歩んできているからこそ、神さまは彼女のために今、新しい道を拓かれたのだと思います。

わたしたちの人生の中には、「神さま、なぜですか」と問いたくなる出来事がたくさんあります。

そのことの意味が知らされるのは、長い時間がかかってからであることも多くあります。

自分だけの思いではなく、自分自身を通してどのような世界を作り上げることが求められているのかを考える時、わたしたちの命は、自分だけのものではなく、わたしたちのものになるのでしょう。

「主に自らをゆだねよ」とは、神さまに、自分のベストを尽くしたうえでお任せしなさい、ということだと思います。

わたしたちの心の願いをなんでもご存じの神さまは、一人ひとりに用意した平和の計画を必ず実現してくださるといいます。

わたしたち一人ひとりの命の道を神さまに信頼して、自分自身の最善を尽くすことで、その先が拓かれていくこと、このことを信じて、今日1日の学校生活も、精一杯過ごしましょう。

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