礼拝の話

2019/09/27 

9月27日(金)聖書:マタイによる福音書11章28~30節 英語科 中山佐百合

中学校の体育の教員をしていた星野さんを襲ったのは、最悪の事故でした。鉄棒から落ちて首の骨を痛めてしまったのです。病院に運びこまれた星野さんは、大手術を何度も受け、高熱を出し、人工呼吸器をつけ……と壮絶な日々を過ごします。2年が経つころには、自分で呼吸ができるようになりますが、首から下は動かないままでした。自分でトイレにも行けず、食事も食べさせてもらわなくてはならず、全て人の手を借りなければ何もできなくなってしまったのです。ただただ、天井を見つめるばかりの日々を過ごしていました。

これからの人生、ずーっとベッドの上で寝たままでいなければならないという苦しみと、「根性も頑張りもあるんじゃないかなあ」と思っていたその自信がまるっきり役に立たなくなってしまった苦しみが星野さんを襲いました。落ち込み、やけくそになり、そして、死んだほうがマシだと思ったのです。でも、自分で自殺することさえできませんでした。さらに、苦しみました。

そんな星野さんを、牧師になった大学の先輩が訪ねて来てくれました。その先輩が置いていってくれた聖書を読み始めました。聖書の言葉が星野さんの心を捉えました。星野さんは、自分の現状は変わらないけれど、その現状を受け入れることができ、生き生きと毎日を過ごすようになりました。悲しみではなく、平安がある人生です。それは、星野さんが、どんな状況でも、自分が神様に愛され、支えられていることがわかったからです。

私達の人生は、自分の努力で変えられることもありますが、自分の努力では、変えられないこともあります。そして、それによって私達は、自分は不幸だとか、幸せだとか判断してしまいます。でも、一番大切なのは、私達が、どんな状況にあっても神様から愛されていることを知ることです。この学校で話されている神様は、どんな事が起こっても、私達を支え、生きる力を与えてくださる方です。

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