礼拝の話

2020/09/01 

9月1日(火)聖書 ローマの信徒への手紙 5章3~5節 社会科 山脇

先日、プロ野球に関するニュースで非常に興味深い記事がありました。

阪神タイガースの藤波晋太郎投手が、692日ぶり、約2年ぶりに勝利を挙げたという記事です。

藤波投手は、高校卒業とともに阪神タイガースに入団し、入団1年目から3年連続で2桁勝利を挙げるなど、素晴らしい活躍を見せていました。

しかし、ここ3年ほど成績が振るわず、昨年は1勝もできずにシーズンが終わってしまいました。

その長く苦しい時期を乗り越えて、約2年ぶりに藤波投手は勝利を手にしたのです。

試合の翌日、久しぶりに勝利を手にした藤波投手のインタビュー記事が新聞やネットに載っていました。

2桁勝利を逃した入団4年目、2016年のオフシーズンに藤波投手は「何かを変えないと」と考え、投球フォームの改造を図りますが、「変えてはいけない部分を変えてしまった」と藤波投手は語っています。

野球評論家の中には「藤波投手はイップスではないか」という人もいました。

普段なにげなくできていたことが、あることをきっかけにできなくなることをスポーツの世界では「イップス」ということがあります。

藤波投手も「自分はイップスなのでは」と思い、様々な人から話を聞き、自分でも調べ、ある動画を見つけます。

その動画には草野球チームのユニフォームを着た男性が、しっかりとしたフォームでボールを投げようとしますが、ボールを投げる寸前で、身体が動かなくなってしまう様子が映っていました。

どんなに腕を振ろうとしても振れないのです。

これを見た藤波投手は、「自分がイップスなんていってはダメだ」と思ったそうです。

コントロールが乱れても、自分はまだ強く腕を振ることが出来る。

本当にイップスで苦しんでいる人は、腕を振ろうとしても振れないのだから、自分程度でイップスといってはいけない、と感じたそうです。

この動画も含め、藤波投手は色々な人の話を聞く中で、「自分はイップスとは違う」と気付きます。

思い通りにいかないのは、技術的なものが原因だと気付いたのです。

もう一度しっかりとした土台を作るために、藤波投手は原点に戻りました。

それは野球の基本であるキャッチボールです。

「キャッチボールは仮設と検証の繰り返しです」と、藤波投手は語ります。

良い時も悪い時も、暴投になっても、原因と答えがある、という意識でキャッチボールを繰り返したのです。

このどん底にあった時期について、インタビュアーが「挫折?」という言葉を発した際、藤波投手は首を横に振ったそうです。

挫折ではなく、「歯を食いしばってやらないといけない時」だと答えています。

「高校生の時にもストライクが入らなくなった時があったので、今が自分のまた踏ん張らないといけないところ」と答えた藤波投手にとって、この3年間の悩みは挫折ではなく、乗り越えるべき壁、という捉え方をしているのだと感じました。

藤波投手の記事を読んで、物事を真剣に考えることや周りの人のアドバイスに耳を傾けること、基本を忘れないことがいかに大切なのかを感じました。

それと、もう一つ感じたのは藤波投手の前向きな考え方です。

「挫折」ととらえるか、「歯の食いしばりどころ」ととらえるかは一人ひとり違いますが、将来をイメージしながら前向きにとらえる考え方は、見習うべきところが多いと思います。

今日の聖書箇所には、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」とありました。

苦難の先に、忍耐の先に、練達の先に、何があるのか。

聖書には、その先に「希望」が生まれることを教えてくれています。

「欺くことのない希望が私たちには与えられている」ことを、聖書は約束してくれています。

二学期の歩みがスタートしました。

勉強だけでなく、様々な行事、クラスでの活動、またはクラブ活動など、様々な取り組みの中で、皆さんは楽しいことや苦しいことをたくさん経験していきます。

その一つ一つが、皆さんの将来に向けて、大きな希望につながることを祈ります。

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