礼拝の話

2022/09/14 

9月13日(火) 聖書 ヨハネによる福音書 8章3~9節 社会科 山脇

私たちは様々な変化のなかで日々の生活を送っています。

変化に気づくこともあれば、気づかずに過ごしていることも多いように思います。

髪を切った、眼鏡を変えた、というように目に見える変化であれば気づきやすいのですが、目に見えない変化は後になって気づくことが多いものです。

特に、自分自身の変化には気づきづらいものかもしれません。

大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』、将軍に仕える御家人たちの姿を描いたドラマもいよいよ終盤へと向かっていきます。

ドラマが後半に入ってからは鎌倉幕府内部での権力争いがいよいよ激しくなり、将軍に仕える御家人たちが次から次へとこの世を去っていきます。

俳優、小栗旬さん演じる主人公、北条義時もそのような権力争いに飲み込まれていきます。

もともと野心のなかった義時は、当初、御家人同士の間を取り持ち、争いを防ぐために奔走していましたが、次第に幕府の重要な役割を担い、権力争いに関わるようになり、ドラマ前半の表情と、今の表情は大きく違ってきています。

爽やかで少し頼りない所のあった義時が、幕府の中心を担い、表情も険しくなっている表情の変化を指摘する場面がありました。

東大寺南大門の金剛力士像を製作したことでも知られる彫刻師、運慶が15年ぶりに義時と再会するという場面です。

「お前、悪い顔になったな」「悩んでもいる」「その迷いが救いなのさ。悪い顔だが、いい顔だ」と言った運慶は「いつかお前のために仏を彫ってやりたいなぁ」と言って会話を終えます。

運慶と会話をしたことで、義時はうすうす感じていた自分の変化を、その言葉によって客観的に確認することができたのでしょう。

自分では気づいていない、もしかしたらうすうす分かっていることを、しかし自分でそれを確認する方法は多くないように思います。

第三者がその変化を教えてくれることで、客観的に今の自分に気づくことの方が多いのだと思うのです。

しかし、そのような言葉は素直に受け止めることが難しい時もあります。

自分自身の変化に気づいても、ついつい素直になれないことが多いからです。

私自身のことを思い返してみても、素直になれない時というのは、大抵、自分自身で分かっている、うすうす感じている時であるように思います。

今日の聖書箇所には、イエスの言葉によって気づかされた人々の様子が描かれています。

罪を犯した女性に対してどのような処罰をくだすべきか、律法学者たちはイエスを試すために問いかけます。

イエスが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われたとき、人々は自分たちのしようとしていることに気づき、一人、また一人とその場から立ち去っていきます。

律法を守ることが絶対だと思っていた律法学者の中にも、自分たちのやろうとしていることが本当に正しいのだろうかと、疑問を持っていた人もいたかもしれません。

そのような人々に、このイエスの言葉は響いたのだと思うのです。

もしかすると人々は自分たちのしようとしていることの大きさを、本当は最初から分かっていたのかもしれません。

イエスの言葉によって人々は改めて気づかされたのではないかと思うのです。

季節は夏から秋へと変わって行こうとしています。

多くの変化が現れる、そのような季節のなか、私たちも日々の学校生活のなかで少しずつ変化していってます。

それは言い換えれば成長といっても良いかもしれません。

そのような成長をお互いに気づき合い、認め合うことができれば嬉しいと感じます。

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