礼拝の話

2022/09/28 

9月17日(土) 体育大会 開会礼拝 聖書 コロサイの信徒への手紙 1章19~20節 校長 小西二巳夫

2022年度の体育大会が始まりました。

キャッチフレーズは「一致団結!輝け 清和魂」です。

一致団結というと、ふつうは掛け声や拳を飢えに突き上げるイメージがありますが、清和の一致団結は、このイラストのように、笑顔でお互いが相手のことを見ながら、心を合わせる、そんな雰囲気です。

このイラストはお互いの違いを認め合いながら、一致して作り上げていく、それが清和らしい一致団結だと言っているようです。

私は台帳の表紙に青色と黄色の2色で色を付けたくなりました。

青色と黄色は体育大会の2組のそれぞれの色でもあります。

青色と黄色は反対色です。

反対色は一般的に合いません。

合うのは同系色です。

ところが、世の中には青色と黄色の反対色を使ったものがたくさんあります。

青色と黄色が反対色にもかかわらず、いい組み合わせに見えるのは、理由の一つに青色と黄色を合わせると緑色になることが考えられます。

緑は平和の色です。

平和を表す色です。

だから反対色にもかかわらず、いい組み合わせに見えるのです。

宮本輝という作家の小説に「青が散る」というテニス部の仲間を中心にしたストーリーがあります。

テニスが強くなりたいと思っている主人公に、小さいときからテニスをしていて、何かにつけ意地の悪さを見せるある部員が、テニスには2種類あると言いました。

それは「覇道のテニス」と「王道のテニス」です。

覇道のテニスというのは、勝つためには手段を選ばないテニスのことです。

それに対して、王道のテニスというものは、基本を大切に、相手に対する礼儀を忘れない、正々堂々と勝負をするというものです。

王道か覇道かという分け方は、テニスだけのことに限りません。

人間としての生き方に大いに関係します。

そして「国のあり方」、国と国の関係にも覇道と王道があるのです。

王道と覇道で日本の近現代史を考えるとどうなるでしょうか。

明治維新以降、日本は軍事力を増強し、周囲の国を侵略し、太平洋戦争を起こしアメリカと戦い続けました。

それを覇道の歴史と呼んでいます。

敗戦後、日本は覇道のあり方をあらためました。

平和を大切にし、物事の道理をきちんとわきまえた文化を大切にする国になろうと王道の歴史を歩んできたのがこの77年間です。

教育を王道と覇道で考えるとどうなるでしょうか。

王道と覇道の説明から、教育は王道を選び取るのが当然だと思います。

ところが今の世の中、そうはなっていないことも多いのです。

勉強するのはテストでよい点を取るためのものと考える人は少なからずいます。

テストでよい点を取るいいことでが、よい点数を取ることだけで人間の評価がされるとしたら、おかしいはずです。

それはあくまで一つの基準だということです。

その基準だけで人を評価することになっていると思えることがたくさんあります。

それではお互いの違いを認め合うという多様性や共に生きるという姿勢は生まれてはきません。

それでは相手を思いやる精神や他の国に対する畏敬の念が育つはずはありません。

そういう世の中にあって、清和は120年前から王道の教育を行ってきました。

今日の聖書には相手に血を流させることによって従わせようとするのではなく、どこまでも相手の立場を理解し受け入れる姿勢をもって分かり合えるようになるために、イエスは十字架にかかられたのであると書いてあります。

イエスが十字架で死なれたのは、私たちが王道の生き方をするため、平和に生きるためだということです。

聖書は人の生き方、国のあり方として覇道ではなく王道を選ぶよう求めています。

それに応えるために作られたのが清和です。

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