礼拝の話

2021/09/17 

9月17日(金)聖書 ヨハネの手紙Ⅱ 12節 国語科 田野

日本の現存最古の歌集である「万葉集」の中に、次のような歌があります。

磯城島(しきしま)の 大和の国は

言霊(ことだま)の 佐(たす)くる国ぞ 真福(まさき)くありこそ

ここに出てくる「言霊」とは、「言葉に宿る不思議な力」のことです。

これから、「良いことを言えば良いことが起こる。悪いことをいえば悪いことが起こる」という考え方が生まれました。

現代でも、入学試験の前や結婚式など、それぞれの場面に応じて、適切な言葉を使おうとする意識は、この考え方の名残です。

先に挙げた歌は、一首前の長歌とセットになっています。

長歌では、「日本ではあまり声に出しては言わないが、あえて言う」として、「これから無事であるように」ということを言っています。

これに続けて、「日本は、言葉に宿る不思議な力で守られています。どうぞご無事で」と付け足しています。

言葉には不思議な力があるから、声に出して言うことにとても慎重な態度を示していたということです。

しかし時代が下ってくると、人の使う言葉に疑いが生まれ始めます。

言葉そのものの力が信じられなくなってしまいました。

現代では、言葉はあふれ過ぎています。

その中で、話し言葉はすぐに消えてしまい、文字で書かれた言葉は、大きな力をもっています。

文字で書かれた言葉は、話し言葉と違い、誰でも見ることができ、後まで残すこともできます。

そのことで、古代の人とは、全く違った意味で、言葉が力をもつようになりました。

言葉が、人の心を傷つけるほどの力をもってしまいました。

古代の人がもっていた、言葉を使うことへの慎重さが失われてしまったことに気づかされます。

今日の聖書箇所の後半の部分に、「あなたがたのところに行って親しく話し合いたい」とあります。

相手と顔を合わせて、相手の言葉を直接相手の声で聞くことができる。

そのことは、古代の人でなくても、喜べることではないでしょうか。

現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、人と向き合って話をすることがはばかられるようになりました。

その中で、長らく会っていない人の声が聞ける。

話した内容に関わらず、元気であることが分かる喜びは、言葉では言い表せないものです。

声に出して言うことに、とても意味のあった時代。

常によいことが起こることを願って、言葉を慎重に使っていた時代。

そのような時代の「言葉の重み」を今改めて感じ取りたいと思います。

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