礼拝の話

2022/09/28 

9月21日(水) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節 理科 寺田

昔の人は自然をよく観察して自然現象を身近に感じていました。

太陽や月、星の動きを見て空や空の上はどうなっているのだろうと考えました。

太陽よりも地球の近くにある月も面白い天体です。

日本では月の模様はウサギの模様と考えますが、ヨーロッパではカニ、アメリカでは横向きの女性やロバ、モンゴルでは犬として見られています。

同じ月を見ているはずなのに、地域や民族によってまったく違うものとして見られているのです。

さらに、月が同じ面を向けているために、月の裏側は見ることができなかったので、地球から見ていても絶対に見えない月の裏面にはどんなものがあるのか大きな疑問でした。

それを見るために探査機をつくっては飛ばしていました。

世界で初めて月の裏側を見たのがソビエト連邦の月の探査機であるルナ3号です。

今まで想像することしかできなかった月の裏側を調べるきっかけになったのです。

たくさんの探査機を飛ばして詳しく調べていくと実際に見た月の裏側は表側と異なるものでした。

このことからも見えるものがすべてではないということが分かります。

見えるもののさらに向こうを見るということが必要です。

自分の目で見たものがすべてではないし、自分の見方がすべて正しいとは限りません。

そのことを聖書は今日の言葉で表現しています。

聖書には「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」とあります。

なぜ、見えないものに目を注ぐのでしょうか。

それは見えないものを見るという姿勢や考え方を持つことによって生きやすくなることがあるからです。

目に見えることだけを正しいと思っていると人によって見方が違うことがあるので、どうしても他の人と正しいと思っていることが合わずに衝突してしまうことがあります。

しかし、目に見えないものにも目を向けると見えるものがすべてではないことに気付き、相手のことを許せるようになってくるのです。

目に見えないものに目を向けるためにはどうしたら良いでしょうか。

見えないものに目を注ぐということの1つの方法は祈ることです。

そして、見えないものの代表が神さまであり、イエスさまです。

祈るということは神さまとの対話をすることです。

目に見えなくても神さまに愛されていることで私たちは今生きています。

祈りはそのことを実感させてくれます。

身近な人のために、どこかにいる人のために祈ることはその人を支える力になります。

私たちは目に見えないたくさんの祈りに支えられて生きています。

みんなで祈りを合わせることが平和をつくり出すのです。

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