礼拝の話

2019/09/24 

9月24日(火)聖書:創世記 8章20~21節 校長 小西二巳夫

今から43年前、日本の首相が汚職事件で逮捕されました。
ロッキード事件といいます。
この事件の証人喚問での言葉が当時の流行語になりました。
「記憶にございません」。
これをタイトルにしたコメディー映画が今上映されています。
当時を下敷きにして政治をテーマにし、政治が国民のために行われていないことを皮肉る映画であることが分かります。
主人公は記憶喪失になった127代目の首相・総理大臣です。
とにかく人気はなく、「史上最悪の首相」と呼ばれています。
そう呼ばれる理由は、国民のための政策は行わず、企業などのトップと手を結んでろくなことをしない悪徳政治家だからです。
その首相が記憶喪失になり…というところから、次々と騒動が起こる話です。
記憶を失った首相が始めたことは、政治の仕組みを1から勉強すること、そして、どのような政策が多くの人の幸せになるかと考えることでした。
内容はぜひ、観てそれぞれが感じ取ってください。
多くの人が、自分自身を変えたい、自分への周りの見方を変えたい、との願いを持っています。
しかし、それがなかなかうまく実現できないのはなぜでしょうか。
この映画の首相ができたのはなぜでしょうか。
それは、彼が権力者、力の強い人たちではなく、そうでない人たち、貧しさや痛みをいう弱さを持った人たちの方に視線を移したからです。
自分の弱さを自分でしっかり見ると同時に、悲しみや苦しみのために声にならない声を上げている人たちを隣人として大切にしようとしたからです。
それは生きていてよかったと思える毎日を過ごすためには、隣人を自分のように愛することが一番だと語ったイエス・キリストの言葉と重なります。
この時期、個人的な事情や自然災害によって痛みや苦しみを背負いながら暮らしている人がいます。
その人たちに関心を持つ、祈る、そうしたことを続ける中で、自分で変えるような出会いがあるということです。
そう考えると今日1日がとても大切に思えてきます。

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