礼拝の話

2019/09/25 

9月25日(水)聖書:ペトロの手紙Ⅰ 2章1~3節 日本基督教団 高知東教会 野口幸生牧師

キリストの恵みを味わい知ったなら、もう偽りや偽善は捨てよう、というのです。
私はイエス様に出会って、歩んで、本当にそうだなと思いました。
私は高3の時、俳優になりたいと思って東京に行きました。
テレビ局で働いたらデビューできるかもという安易な考えで
フジテレビのバイトの面接に行きました。
10に以上ずらっと並ばされて、1人ずつ自分をアピールして、といわれ「体力です!」と言おうと思っていたら、隣にいたガッチリした兄ちゃんが「体力です!」と先に言いました。
「うそ…」と思いましたが、次が私。
「高知から自転車で来ました!」といったら、その2人が採用されて仲良くなりました。
が、その後私は、母が倒れたり、留学したり、と彼とはそれっきりになりました。
そして、私は聖書に出会い、イエス様に出会って、キリスト者になりました。
偽善と訳された元の言葉はギリシャ語ですが、これは演技とか仮面、虚勢等を意味する言葉でした。
俳優になりたいと思って上京し、帰ってきた私ですが、神さまは私にどんなご計画を用意しているのだろうかと考え、祈り始めました。
神さまが私にはこれ、と用意してくれているのに、私が頑なに俳優に固執していたら嫌だろうなぁと思ったからです。
でも、なれる、なれないという問題ではないことがわかって、肩に力を入れないで祈れるようになりました。
周りの目が気になる私でしたが、神さまがとても大きな愛でいつも見ていてくれて、わかっていてくれて、間違ったら直してくれる、赦してくれる、新しく作り変えてくれるから演じる必要がない!と、人目を気にすることから自由にされていきました。
イエス様についていっていれば道はわかるから大丈夫、後は信頼してついていくだけとわかってとても楽になりました。
この恵みの道を一緒に歩んでいきましょう。

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