礼拝の話

2021/09/27 

9月27日(月)聖書 ヨハネによる福音書 11章32~35節 校長 小西二巳夫

「子供はわかってあげない」というタイトルの映画があります。

原作は田島列島という漫画家の同じタイトルのアニメです。

主人公の美波はいろいろなつながりの中から、夏休みに父親探しをすることになります。

美波はまじめにならないといけない場面で、その雰囲気をこわしたくなり、茶化したり、無関係な態度をとったりしてしまうクセがあり、悩んでいました。

素直になれたら毎日がどんなに楽になれるのか、そして楽しくなれるのか、ということがわかりながら素直になれないのです。

そのように素直でない自分を、何ともできない自分を前に、実の父親に会えば、素直になれない原因がわかるのではないかと考えました。

美波の父親探しは、素直な自分になりたいという自分探しだったのです。

実際会った元教祖の父親は何とも怪しい人でしたが、何ともいえない魅力がありました。

父親は変なおじさんでありつつ、すべてが自然体、素直でした。

素直な表情、素直な言葉遣い、これは誰にとっても最強の魅力です。

その父親と接する中で、美波はいつの間にか素直な言葉遣いをするようになります。

素直な表情を見せるようになります。

夏休みが終わり美波にしばらくぶりで会った周囲の人は、美波の成長ぶりに驚きます。

映画「子供はわかってあげない」から分かることがあります。

素直になるというのは、成長するということです。

そして、なりたい自分になるためには素直になることが欠かせないことです。

さらに人は自分の力だけでなかなか素直になれないことです。

素直になるためには、素直に生きている人としっかり接することが必要なのです。

清和の先生は交代で毎朝のチャペル礼拝で話をします。

先生たちが話をする時の約束事があります。

それは、教える話、つまり上から目線の話はしないことです。

自分が今大事に考えていることを素直に話すことです。

さらに、私はこんな失敗をしましたと素直に語ることもあります。

それが清和のチャペル礼拝の時間です。

「子供はわかってあげない」の美波は怪しく、どこか変、けれど素直さを持った父親との出会いによって素直さが引き出され、人として成長していきます。

清和で学校生活を過ごすみなさんにも美波と同じチャンスが与えられているはずです。

それも夏休みという短い期間限定ではなく、3年そして6年という時間です。

それにしても、清和の先生はいい歳をした大人にも関わらずなぜ素直でいられるのでしょうか。

それは、イエス・キリストに出会っているからです。

イエス・キリストを中心に置く学校にいるからです。

今日の聖書の箇所には死んだラザロと弟ラザロの死を前にしたマリアとマルタを見て、実に素直に泣くイエスの姿が描かれています。

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