礼拝の話

2022/09/28 

9月27日(火) 聖書 コヘレトの言葉 3章10~11節 社会科 山脇

1年のうちでどの季節が好きかと問われると間違いなく「秋」と答えます。

それは夏の暑さが和らぎ、一年で一番過ごしやすいと感じることと、青々とした木々の緑が、少しずつ黄色や赤色に変化していくのを感じることができるからです。

そして何より「食欲の秋」と言われるように、食べ物が美味しい季節であることも秋が好きな理由です。

先週、台風が通り過ぎた後、一気に秋の気配が強まったように感じます。

連休明けの先週火曜日、東館の花壇に目をやると、彼岸花の茎が伸び、その先に赤いつぼみが付いているのに気づきました。

翌朝、東館の花壇を見てみると、昨日までつぼみだった彼岸花が、きれいに花を咲かせていました。

カレンダーを確認してみると、今年の秋のお彼岸は、9月23日金曜日の秋分の日を中日として、9月20日が彼岸の入り、そして昨日26日が彼岸明けとなっていました。

先日、高知新聞のコラム欄に、温暖化が進んだことで「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が、もはや通用しなくなっているのかもしれない、とありました。

確かに、9月になっても連日真夏日を記録し、秋の気配が強まったとはいえ、日中は暑い日が続いていますが、そのようななかでも彼岸花は花を咲かせたのです。

まるで暦を計算しているかのように、ぴったりお彼岸の時期に花を咲かせるのですから本当に凄いと思いました。

今日の聖書箇所には、「神はすべてを時宜にかなうように造り」とありました。

コヘレトの言葉の3章1節から8節には、何事にも神が定められた時があるとあります。

そのような時は全てその時にかなうように神が造られたとあります。

その時にかなったものを神は造られますが、そのなかには泣く時も失う時も、また戦いの時もある、と今日の聖書は言います。

そのように試練と思われる時を与えられる神は、永遠を思う心をも人に与えられたと聖書は言います。

目の前にあるものを追い求め、目の前に迫る壁に悩む私たちに、どんなに時代が変わっても、決して変わることのないものを求める、永遠を思う心を神は与えたというのです。

季節ごとに店頭に並ぶ旬の味覚は、私たちの心を豊かにしてくれます。

神はその時ごとに豊かな恵みを私たちに与えてくれていることを感じます。

同時に、どんな時であっても、永遠に変わることのないものを求める心をも神は私たちに与えてくれています。

どんなに時代や社会が変わっても、温暖化などによって気候に変化が生まれても、それを残していこうとする人々の思いは、目には見えないものへの畏敬の念や感謝の現れのように思うのです。

私たちは神の造られた、そのような時のなかで、変化を感じながら日々の生活を送っています。

その時のなかには、自分にとって苦しく、辛いと感じてしまう時もあります。

しかし、そのような時も神が私たちのために与えてくださった時、私たちにかなった時なのだと聖書は語ります。

神が定めた時は、私たちに見極めることはできません。

しかし、そのような様々な時を通して、神は私たちを導き、成長させてくださっています。

私たちに永遠を求める心、目には見えないものを求める心を与えてくださった、その神の計画が平和の計画であることに感謝して、今日も一日の歩みを始めたいと思います。

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