清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2020/09/28
今朝の聖書の箇所は「タラントンのたとえ」です。
この「タラントン」は聖書の時代のお金の単位です。
1タラントンは6,000デナリオン、1デナリオンは1日の賃金です。
1タラントンは6,000日分、約20年分の賃金ということになります。
とても高額なお金であることがわかります。
さて、このたとえ話は主人がしばらく留守にする間、3人の僕たちにタラントンを渡して、これをしっかり管理するようにと、言う場面から始まります。
5タラントン預けられた僕は早速それを元手に商売をしてそれを倍に増やし、2タラントン預けられた僕もそれで商売をして更に2タラントン儲けました。
帰ってきた主人に報告するととても喜んでくれました。
ところが1タラントンを預けられた僕は、穴を掘ってそれを埋めて隠してしまいました。
商売に失敗して全部失ってしまうのが怖かったからでしょうか。
他の僕よりも金額が少なかったのをうらんでいたからでしょうか。
当然、主人には最初の1タラントンをお返しすることしかできません。
主人は怒って、その僕を外に放り出してしまいました。
主人はなぜこの僕を怒ったのでしょうか。
それは、お金を儲けなかったからではなく、主人から管理するように預かった物を用いないでただ、隠しておいたからです。
3人の僕に預けられた5タラントン、2タラントン、1タラントンというお金は金額が多いか少ないか、を表しているのではありません。
これは金額ではなく、種類の違いだと考えてください。
それぞれ違った種類のタラントンを預けられた、という事です。
実際、5タラントンの僕と2タラントンの僕が預かったお金を増やしたと言う報告をした時、主人は全く同じように喜んでくれています。
5タラントンの僕の方がえらい、と言う言い方はしていないのです。
タラントンという言葉は「タレント」=才能 の語源です。
タレントは神さまから私たち一人ひとりに与えられている才能です。
これを「賜物」と呼びます。
私たちの側の努力や功績によってではなく、全くただで最初から与えられているものだからです。
その神さまから与えられている賜物は一人ひとり違います。
ちょうど、僕たちのタラントンが違ったように違っています。
でもそれは必ず全ての人に与えられているものなのです。
他の人のことを見て、あの人は美人だから、成績が良いから、スポーツ万能だから、うらやましい、自分にはあれもない、これもない、と嘆いている人はいませんか?
それはあの1タラントンの僕と同じです。
自分が預かっているタラントンは本当に高額の、すばらしいものなのに、それを用いることなく、地面に埋めて隠してしまっているのと同じです。
逆に、自分はこんなこともできる、あんなこともできると言って自慢することもできません。
だって、それらはみんな神さまからただで与えられたものだからです。
神さまが下さったものだから、神さまの担当部分だから、誰も自慢できないし、自分なんかダメだ、と卑下することもできません。
神さまが与えてくださった賜物を、私たちが「これはダメ」と言ってしまうのでしょうか。
神さまが創造して「良し」とされた私たちを、自分でダメだと評価することはできません。
一人ひとりの才能は違っています。
神さまの光を浴びて私たちが輝く時、一人ひとりの輝き方は違っています。
どれが良くてどれがダメ、ということはありません。
色々な輝き方があるからこそ、この世界は美しいのです。
あなた自身の輝きで輝きましょう。
今日は、一日、どんな風に輝けるでしょうか、
あなたに与えられているものを大切に用いて、輝いてください。