礼拝の話

2021/09/28 

9月28日(火)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章7~9節 音楽科 三浦

彼岸花の季節になりました。

球根から咲く彼岸花は咲いてから1週間くらいで枯れますが、ここからが次の花を咲かせるための大切な期間になります。

寒さが増し、他の植物が葉を落とし、枯れていく秋、冬に、この彼岸花は青々とした葉を茂らせていき、他の植物が生き生きと芽を出す季節、花が咲き始める春先に、なんとも悲しい枯れ方をしています。

その枯草はもちろん、手入れされて抜かれたり、切られたりして、その場所は何もない、状態になります。

でも、それは私たちの外側の目から見た状態に他なりません。

地面の中では、球根が秋、冬にしっかりと葉っぱからとりこんだ栄養をじっくりとその身にためて、次に咲く時期を待っているのです。

植物にはそれぞれ、決まった時期に咲くという期間がありますが、私たちには、一人ひとりそれぞれ、咲くための地面の中の時間、そして咲く時間が違うように用意されているのだと思います。

そして、この中高生時代というものは、その地面の時間をこれからどう深めていくのか、どう大切に扱っていくのかを一人ひとりが考えるための大切な時間だと思っています。

花は枯れ、そしてまた新しい花を咲かせますが、私たちの人生もきれいに咲いたり、枯れてしぼんだり、を繰り返して歩んでいくということではないでしょうか。

成功だけで過ぎる人生はあり得ませんし、失敗だけで終わる人生もありません。

それぞれの出来事の中で、自分の中で何が大切なことだったのか、何が良い結果に結びつけられる要因であったのか、また失敗だと思ったことから何を学んだのかを考える感性を身につけることが、これからを生きる人たちには必要なのだと思います。

そして、大切なのは、この枯れてしぼんでいるように見えている期間に、実は大切なエネルギーを蓄えることができるということです。

何もないと思われるような地面からある日、急ににょきにょきと茎を出し、しっかりと咲く彼岸花のように、私たちも外からは何も見えない、何も働いていないと思われるような現実の中でも、実は密かに心に決めたことがあったり、これだけはしようと思ったことがあったり、と一人ひとりその心持ちは違うことでしょう。

人と比較して、これができる、あれができる、というものは、そのうち自分よりもできる人が現れれば、過ぎ去っていくものです。

また、人より、あれができない、これができない、というものは、ともすると、「私はあの人よりもできているから」とか「私には才能がないから」という、相手を見下したり、自分が持っている力を最大限に生かさないままに過ごしたりすることにもつながりかねません。

大切なのは、私が私として生きるために、どう生きるか、だと思います。

何を考えていくか、そのことがこの中高生時代、そしてそれから先も求められるように思います。

人と比較する必要もないし、人に比較される必要もありません。

相手の評価は別にして、自分自身が自分自身を本当に生かしきれているのか、大切にしたいと思えているのかを考えることが大切なのだと思います。

そして、与えられている現実の中を必死に生きる中で、新しい世界が見えてくるのだと思います。

一人ひとりが持てる力を合わせて過ごすのが、清和の学校生活です。

得意なものは、ぜひ周りの人のために活用し、苦手なものはお互いに協力して乗り越えていく、このことが、今日の学校生活を明るいものにしていきます。

お互いを大切に、お互いに支え合って1日を歩みたいと思います。

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