礼拝の話

2020/09/03 

9月3日(木)聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章3~11節 数学科 柳井

私の家の前には大きくて綺麗な1軒屋が建ちました。

夏休み前から工事が始まって、わずか4ヶ月足らずで完成です。

家の前ですから、毎朝学校に向かう途中、横を通るときに毎日目にした言葉があります。

白の背景に緑の十字と「安全第一」の文字。

これを見ていてふと疑問が湧きました。

安全が第一なら、第二は何か。

技術、それとも質か、お客様への真心か、気になって仕方がありません。

調べてみると1900年代初頭のアメリカは、ハリケーンや地震、火災や爆発といった大災害と不景気の影響で荒れ果てた社会状況でした。

そのあおりを受けて、工場、工事現場、炭鉱などの労働者たちは劣悪な環境の中で危険な業務を強いられることになります。

結果、多くの方が労働災害に見舞われ、たくさんの犠牲者がうまれてしまいました。

そんな中、当時世界第一のアメリカの製鉄会社USスチールの社長であった「エルバート・ヘンリー・ゲーリー」が立ち上がります。

ゲーリーは、熱心なキリスト教徒で、労働者たちの苦しむ姿に心を痛め、「同じ神の子である人たちがこんな悲惨な災害を被り、不幸な目に合っているのは見るに忍びない」と考え、効率を求め、どんどん物を作る、当時の世間では当たり前だった「生産第一、品質第二、安全第三」の経営方針を、社長自ら「安全第一、品質第二、生産第三」に改めることに決めました。

品質や生産性よりも、従業員の安全を優先したのです。

ゲーリーの人間を愛する精神から「安全第一」のスローガンが生まれた瞬間でした。

ゲーリーの従業員を大切にする経営方針は、第二次世界大戦時の労働者不足にもかかわらず、生産性も高く、災害もなく、品質も優れていて「安全第一」は全米を一世風靡しました。

アメリカで生まれた「安全第一」のスローガンは、1916年、北米旅行を続けていた内田嘉吉(うちだ かきち)により日本に来ました。

アメリカ国内の行く先々で「SAFTY FIRST」(安全第一)という文字を目にし、大きな感銘を受け、帰国後に日本で安全第一運動を提唱しました。

労働者の安全を確保したいという情熱を持った先駆者の活躍によって、私たちの働く場における安全が守られています。

安全という言葉は仕事現場だけで使われるものではありません。

安全なデータ、安全な建物、安全な運転のように私たちの生活の中でも耳にする言葉です。

建築現場などでの事故の防止はもちろん、コロナ禍にある今、ウイルスの感染防止と健康維持、そして、熱中症対策に関心が高まっています。

2019年に労働災害で亡くなったのは845人で、2年連続で過去最少を更新しています。

ところが、コロナウイルスの影響で亡くなった方は約1300人。

依然、多くの人が命を落としています。

高知県でも安全を第一に考えた取り組みの1つとして、龍馬マラソン2021も中止が決定しました。

ニュースや記事見ていると、ウイルスの感染防止に対して意識が低いなと思うことがあります。

安全第一について考える人が、県のトップやイベントのリーダー、会社の責任者だけではいけません。

他人事ではなく、私たちが関心をもって予防に努め、自分自身や大切な人を守るようにしましょう。

幸いなことに、清和は小人数教育で、学校内で生活をともにする人数が少ないです。

人数が少ないことで、感染のリスクを減らすことができます。

気をつけたいのは、新学期の出だしです。

環境がガラっと変わり、心も体も疲れます。

そうすると、体の免疫力も下がってしまいます。

疲れきってしまう前に、休みながらゆっくり慣らして、安全第一で毎日を過ごしていきましょう。

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