擬人法による相互理解

2017年05月16日

何かに挑戦することはとても良いことです。医学関係のシンポジウムで興味ある発表がなされました。「階段を一段とばしで、二段ずつ上がることに挑戦していますが、とばされた階段が、僕も踏んでほしかった、と思っているかもしれない視点を持つ必要がある」というのです。「何かに挑戦するときに、その挑戦の結果に浴することができない人が必ず存在することを、挑戦者は謙虚に認める必要がある」というのです。たとえば、がんの陽子線治療に挑戦している人は、多額の費用がかかるため、その恩恵に浴せない人の存在に配慮するということです。足腰の弱りのために階段を二段ずつ上がることなど到底考えられない人の前で、自慢たらしく自分の挑戦を吹聴するようなことをしてはならないことでしょう。

少し観点が違いますが、アイヌの文化に共通する考えがあるそうです。<子どもが柱に頭をぶつけて大声で泣き叫んでいるとき、母親はその子に駆け寄って、頭をさすりながら「痛かったね。かわいそうに」といいます。そして、すぐに柱に駆け寄って、柱をさすりながら「柱さんも痛かったね、ぶつかってごめんね」というそうです。ここでははっきりと柱を擬人化しています。人が黙って立っているときに、子どもが走ってきてぶつかれば痛いに決まっています。柱を擬人化することによって、子どもに他の人の痛みも教えるというすばらしい方法だと思いました。>

擬人化によって、相手の立場に立つ川柳を紹介します。「食卓の愚痴を聴いているパンの耳」「和菓子くん過保護なおべべ着せられて」「乾電池眉寄せ合って寿命尽き」「広告を着ているようなバスが来る」擬人法がうまく用いられると、①文章がイキイキしてきます。②また発想の転換を働きかけて、理解されやすくなります。とばされた階段が「僕も踏んでほしかった」と表現することにより、恩恵に浴せなかった人の気持ちが理解しやすくなります。③平板ではない表現になる。「乾電池が肩を寄せ合う」というのは平板な表現ではありません。④「過保護なおべべ」などの表現により、親近感をもって読んでもらえる。

(淀川キリスト教病院理事長:柏木哲夫「いのちのことば」誌6月号より)

お知らせ

清和ガールズ!!

校長室より

チャペルタイムス