こだまでしょうか

2015年02月16日

≪こだまでしょうか≫:<金子みすず>

こだまでしょうか 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと「ばか」っていう。「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。そうして、あとで さみしく

なって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、いいえ、だれでも。

「遊ぼう」と声かければ、誰もが「遊ぼう」と言って駆け寄り、「もう遊ばない」と言えば、

誰もが「遊ばない」と反発します。「ごめんね」と言うと、相手も「ごめんね」と言って、

近寄ってくれます。これは「こだま」ではなく、誰でも皆がする行為です。みすずは、「遊ぼう」;「ごめんね」と言う言葉が、こだまのように響き会う世界を、願っているのだと思います。やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれます。こだまのように!

金子みすず記念館館長矢崎節夫さんは、この詩について次のように解説しています。誰かがころんで泣いている時に、「泣くのはやめよう」というのではなく、「痛いね」と言ってあげよう。その後で、「がまんしようね、泣くのはやめようね」と慰めてあげたら、痛みは半分になるのではとおっしゃっています。子どもが生まれて、親は親になれます。子どものいない人でも子どもと接して大人になれるのです。現代は忙しさのあまり、せっかちになって結論をしめしてしまうような社会になっているようです。

大人は励ましの意味もあって、ころんだ子どもに「泣かないの」とか言ってしまいがちです。同様に、さびしい人には、はじめに「さびしいね」とこだまのように返してあげるとよいようです。そうだとすると「おはようございます」と言われたら、どう返せばよいのでしょうか。お分かりですよね。「おはようございます」でいいのです。讃美歌Ⅱ編26番の2節にもあるように、<「おはよう」とのあいさつも心こめてかわすなら、その日一日お互いに喜ばしくすごす>ことができるのではないでしょうか。こだまは返って来てはじめてこだまになります。ちょっと考えて、意識すればだれでもできますよね。チャペルでは毎日礼拝で神さまに愛をお返ししています。

新約聖書のヨハネの手紙には次のような言葉があります。

神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。(4:9-12)

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