一杯の水

あの地震が起こってから2ヶ月以上が経ちました。しかし、依然として復興はなかなか進まず、先も見えないような焦りを感じます。かの地を訪れた牧師によれば、「砂漠のようだった」とのことです。遠く四国の地にいる私たちには、何も出来ないような無力感も覚えます。また、私たちが何かするにしても、それは砂漠に水をまくようなものかもしれません。とはいえ、コップ一杯の水であっても、砂漠を行く人にとっては、のどを潤すための貴重な水となります。わずかであっても、出来ることをしたいと思います。

はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。
(マタイによる福音書10章42節)

しかし、私たちは報いを期待して何かをするのではありません。私たちが水を差し出すのは、そうせざるを得ないからです。見返りを期待せず、純粋な気持ちで動き出す時、その小さな働きは大きなうねりとなって砂漠をも潤すことが出来るはずです。まずは、一杯の水を提供することから始めたいと思います。