鈍感力と信仰

2014年01月23日

先週は大学入試センター試験でした。その試験の朝、受験生とその母親らしき人の会話の中で「鈍感(どんかん)力」という言葉が聞こえてきました。私はまだ、『鈍感力』という本そのものを読んでいません。ですから、詳しいことは分かりませんが、少しぐらい鈍感でも良いのかも、とその親子の会話を聞きながら思っていました。

鈍感とは、あまりクヨクヨと悩まない、ということではないでしょうか。これは、信仰にも通ずる面があるように思いますが、どうでしょうか。例えば、信仰でいえば、自分で頑張りすぎるのではなく、神にゆだねるということになります。

「どんなことでも、思い(わずら)うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙4章6-7節)

悩むことを止めなさいと聖書は言うのです。なぜなら、私たちの思いを越えて

良きことを神がして下さるからです。本当に大丈夫か? と疑うことさえしないで、実に単純に、それこそ鈍感なぐらいに、神に任せてしまうのです。神は、私達の必要なことについて鈍感ではないからです。これが、信仰なのです。

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