クリスマス礼拝メッセージ

2013年12月13日

2013 清和学園 クリスマス礼拝メッセージ

ルカによる福音書1:68-71

「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。」 

いくつになってもプレゼントがもらえるというのは嬉しいものです。ところで、プレゼントをもらうばかりでなく、プレゼントを贈る側はどのような気持ちで送るのでしょうか。皆さんも誰かにプレゼントをしたことがあると思います。贈り物をする時、まずは受け取る人のことを思い浮かべます。あの人が好きな物は何だろうか。何をあげたら喜んでくれるだろうか。人に物をあげるというのも、結構難しいものです。こちらの気持ちが伝わるものをあげたい。さりとて、自分の気持ちばかりでなく、相手の気持ちも考えなければならない。また、予算のこともあります。真剣に考えれば考えるほどに、悩んできます。

クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う時です。キリストの誕生日、と考えるなら私たちがキリストにプレゼントを贈るべきなのでしょう。ところが、キリストこそが、私たちに対する神からのプレゼントであると考えることができるのです。とするなら、神はどのような思いで、キリストを私たちに与えて下さったのでしょうか。もう言うまでもなく、それは私たちを愛し、私たちを救うためでした。

神は、キリストというプレゼントをどのように準備したのでしょうか。聖書にはこう書いてあります。1:70「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。」クリスマスの預言として有名なものにイザヤ書の預言があります。イザヤがイエス・キリストの誕生を預言したのは、キリストが生まれるおよそ700年ほど前です。神は、実にキリスト誕生の700年も前から、準備しておられたのです。というか、そもそもイエス・キリストは神様です。ですから、キリストが人間として誕生したのは今から2000年前となりますが、キリストの存在ということで考えれば、世界が創られる前から、キリストは存在したのです。ですから、神は私たちのためにキリストの誕生を世界創造の前から準備しておられたと言えるのです。神は私たちのために、実に途方もない時間をかけて、クリスマスを準備しておられたのです。

では、キリストは、私たちにとってどのようなプレゼントなのでしょうか。これも聖書によれば、こうです。1:71「それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。」キリストは、私たちを敵から救ってくれるというのです。

今、問題を抱えている人に対しては、その問題から救うためにキリストは来た、と言われるのです。貴方がどのような問題を抱えておられるか分かりませんが、キリストを信じて、彼に委ねてみてください。貴方に解放を与えようとキリストは言うのです。では、何の問題もない人には、キリストは必要ではないとなるのでしょうか。実はそうではありません。問題の無い人にも、敵がいるのです。いや、自分は誰ともトラブルになっていないし、誰かに恨まれる覚えもない、と言われるかもしれません。そんな人にも敵がいるのです。その敵とは、全ての人に襲い掛かる死という敵です。命のある人すべてに襲い掛かる敵が、死なのです。どんなに平和な人生であっても、人もうらやむような生涯であっても、最後に待ち構えている敵が死なのです。だからこそ、その最後の敵を滅ぼすためにキリストは人となり、私の罪を背負い、十字架にかかったのです。

キリストを信じて生きる時、人生で出会う様々な問題は小さな問題となるのです。なぜなら、究極的な問題である死について解決を得ることができるからです。神は、私たちが希望を持って人生を送ることを願って、イエス・キリストをお与えになったのです。これこそ、クリスマスのメッセージなのです。

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