日本に眠るエリス夫妻

2014年09月05日

アニー・エリスとご主人チャールス氏は浦戸湾を眺める土地が気に入って、そこからモーター・ボートで高知の中心まで通われた。その土地は素晴らしく、宇津野峠を背にし巣山を眼下に見下ろす台地で、雑草生い茂る荒れ地であったが、エリス夫妻の努力により、楽園となった。冬は日当たりよく、夏は涼風が海からそよぎわたり、竹林と果樹と野草に囲まれた楽園と化し、イギリス本国から種々の草花を取り寄せて花壇を作り、花が絶えることはなかった。
ご夫妻はそこへ多くの人を招いたが、時には女学会(清和の始まり)の生徒のためにハープを弾き、クリスマスの晩などは夫婦で二重唱の特別賛美をされた。エリス夫人は会計もでき、衛生方面の世話も進んでお引き受けになった。女学会の生徒の作品(主として刺繍)を外国に売りさばく世話もされたが、実に面倒な仕事であったらしい。夫人は黙々として、常に明るく事にあたり、縁の下の力持ちとしてダウド女史の無二の親友であり、補助者であった。
この間約10年、チャールス氏の病気は一進一退だった。いつまでも高知に留まることも本意でなく、寄る年波とともに望郷の思いが強くなり、帰国を決意して準備を整えていたが、病気は悪化し、昭和2年4月南国のこの地において帰らざる人となった。エリス氏の葬儀は、遺言で伝道の時として自分のことを一切語らずに、神を知らない人のために地上における最後の奉仕の機会と考えられた。会葬者の中には、当時の高知市長や有識者も多くいた。
潮江山の野中兼山の墓の隣に新しい墓地が買われ、救世軍の埋葬式により厳かな祈りや聖書朗読、賛美、祝祷の後静かに地上における永久の別れが告げられた。愛する夫に先立たれ異境の地に一人残された夫人の哀しみは計り知れないが、けなげな夫人はもはや帰国することを断念して、ダウド女史のヘルパーとして女学会のためにつくされた。現在も墓はそこにある。
その後日華事変により親しい友が次々と帰国して行くのをすべて見送り、傷心をいだいて彼女は高知に留まった。そして昭和15年戦争で乱れている地上から、ご主人の住む天上の国へ帰った。満80歳であった。お子さんのない老後の夫婦のわびしさも信仰のゆえに祝福であった。彼らが地上に記した愛の足跡は今なお不朽の香りを放って、主の栄光を輝かせている。
このような清和の創始者たちの祈りにより築き上げられた学舎で私たちは学んでいる。

お知らせ

清和ガールズ!!

校長室より

チャペルタイムス