校長挨拶ヒストリー

2014年12月13日 チャペルクリスマス 

わたしたちは変わります・・これが、今、清和のモットーです。変わろうとしている一つに海外との交流を通して広い世界に触れ、卒業後、置かれたところで役立ち、輝く女性となってほしいと願っています。今年、夏、カリフォルニアから7人の大学生チームを3週間、秋にはハワイから二人の英語のベテラン先生を2週間、お招きして、国際キャンプなどの交流のときを持ったり、クラスを教えて貰ったりしました。 

又、迎えたゲストの中に、インドの東側、バングラデシュに隣接したネガランド州から来られたAchiboさんがいました。アチボさんの村は本当に山の中で、その村の子供たちに「みなさんの夢は何ですか?」と聞けば、「学校へ行って勉強することで。」つまり、清和の生徒の皆さんはネガランドの子供達の夢の生活をしているのです。どうですか?素晴らしいですか? ・・・ ハーイ!!とは聞こえませんね。 

そうなのです。そこなんです。実際に、恵まれ、羨ましがられるような生活をしているのに、喜びや「やったーッ」と言う感動、これでいいのだという安心がない。マザーテレサが日本へ来られた時に言いました。「日本も貧しい国です。食べるもの、着るものが無い貧しさではありません。お金があっても、愛されていない、気にかけてもらえない、必要とされていない、心から「あなた」と呼べる人がない、そんな飢えに皆さんは飢えています。」若者も大人も多くの人に囲まれ、忙しく働くきながら、孤独で不安なのです。 

しかし、これはわたし達日本人だけのことではありません。人は誰でもそうなのです。丁度、子供はどんなに楽しいゲームやおいしいお菓子を持っていても、お母さんがいないと不安で、夕方になると「お母さ~ん!」 と泣き始めるように、人は創り主である神から離れると、帰る所が分からない、目指す目標を見失います。迷子です。人生の迷子は不安で孤独なのです。今、若者が音楽やお笑いに夢中になるのは迷子の不安や寂しさを忘れ、悲しさを隠し、しんどいことは考えずに笑いでごまかしたいからかもしれません。ネガランドの子供たちは目を輝かせて夢を語りますが、何もかも持っている日本の若者たちは言います。「ええ、ゆめねぇ・・分からない。」こんなわたし達の現実をマザーテレサは「日本も貧しい」といったのでしょう。 

これらはわたし達の現実、迷子になった姿です。しかし、これが全てではありません。以前、子供が迷子になった時に分かったのです。迷子は子供の問題ではない、それ以上に親の問題です。子供が居なくなったら、その瞬間から、親は子どもを探します。それも見つけるまで・・。神様も神の手許から消えた私たちを探し、探し続けて、今から2014年前、ユダヤのベツレヘムで天使の声が響きました。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」 ( ルカ 2:11) 「もう心配無用、わたしが救い主としてきたから。」

神は迷子の私たちをもう一度、本来の喜び、希望、安心に回復しようとして非常手段をとられたのです。神ご自身が、救い主として人類の歴史の中に割り込むと言う非常手段、それが2014年前に起こった初めてのクリスマス、しかも、その第一報を、ローマ皇帝でも、イスラエルの学者でもなく、野原で羊の番をしていた羊飼いに届けると言う非常手段です。当時の人々はローマ皇帝アウグスツウスが出した住民登録命令に従い、夫々の出身地へと旅していました。しかし、羊飼いたちはいつもの場所で羊の番です。彼らは数の内に入れて貰えなかった人々でした。しかし、人に当てにされIMG_5388ず、無視されていた羊飼いを神はお忘れではありませんでした。羊飼いは私たちの代表です。 

他人がみんな旅しているのに、旅することなく、取り残されて、羊飼いたちは俺達はどうすれば良いのか、どうなるのか・・先が見えない・・・そんな不安で、孤独の中に居た羊飼いにメッセージが届いた。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」 ( ルカ 2:11) 「もう心配無用、救い主であるわたしが一緒だ。」羊飼いたちは出かけました、探しました、そして聞いたとおりのイエス様を見つけていいました。「わたし達を神様はお忘れではなかった・・」 これがクリスマスです。 

「神様はわたし達をもお忘れではなかった・・」皆さん、神様は私たちをお忘れではありません。2014年前、羊飼いたちは、言われたとおり信じベツレヘムへ出かけて、イエス様にお会いし、喜びました。これがクリスマスです。今年、ここ清和でも信じ、イエスを迎えて喜びましょう。   

 

メリークリスマス!

 

2014年4月8日 入学式 

 

新入生の皆さん、入学おめでとうございます。

皆さんはここ清和学園で共に大切な時間を過ごします。やがて、中学生は6年後、高校生の皆さんは3年間を終えたときに、「清和学園に来てよかった。他では、学べなかったことを清和学園だから知ることが出来ました。」と夫々の人生に向かって羽ばたいて欲しいと願っています。

 

しっかり勉強して下さい。清和学園での勉強は将来どんな進路に進むにしても必要な土台となるものです。次に、クラブに入ることをお薦めします。特に人間関係が苦手・・と言う人にとっては部活はスポーツや音楽が上手になるだけではなく、人間関係の素晴らしさを経験する場です。先輩、後輩の関係を経験し、友達を味わって下さい。

 

清和学園ではもう一つ大切なこと、毎日チャペルがあります。チャペルでは今までどこでも学ぶ機会のなかった「新しいものの見方」を学びます。私達は「こんなことでは恥ずかしい」と人の目でものを見、「もうこうなったらお終いだ」と自分の目でものを見ます。しかし、もうひとつ違ったものの見方があります。

 

星野富弘さんと言う方を知っているかたも居られるでしょう。彼は体操の選手で国体などで活躍していました。星野さんは大学を卒業し、夢であった中学校の体操の先生になった3ヶ月目、部活の指導で模範演技をした時の事故で、首の骨を折り、首から下は完全に麻痺してしまいました。たった一回の失敗で、もう走ることも、鉄棒を握ることも、いいえ、指一本動かせなくなりました。命が危ないと言われた時、「死にたくない!」と思った彼が「助かった・・」と分った時、「死んでしまいたい・・」思ったと言うのです。口からものを食べ、シリから出すだけの土管のような人生、生きていて何になる・・。人の目で見ていると確かにそうです。しかし、そんな星野さんのところに友達が聖書を届けてくれました。星野さんはお母さんが開いてくれた聖書に「 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)とのイエス・キリストの言葉を見つけました。聖書なんて読んだことも無かった星野さんでしたが、何故かうれしく、素直に休ませてもらいたい・・と思いました。その聖書は「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」( エレミヤ 29:11)と語ります。口から食べ、シリから出すだけの土管人生に「将来と希望を与える」というのです。これらの聖書のことばが「死んでしまいたい・・」と考えていた星野さんの生き方を変えました。

 

今、彼は口に筆を加えて絵を描き始め、毎日の生活で気づかされたことを書き添えます。

いのちが一番大切だと  思っていたころ  生きるのが  苦しかった

いのちより  大切なものがあると知った日  生きているのが嬉しかった

生きるのが苦しかった毎日がうれしい日々に変わり、今、星野さんはこう歌います。

どんな時にも  神様に愛されている  そう思っている

手を伸ばせば届くところ  呼べば聞こえるところ

眠れない夜は枕の中に  あなたがいる

 

新入生の皆さんも色々な現実があるでしょう。星野さんは事故を通して人の目で見るお終いを新しい出発と見る神様の目があることを知りました。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」今日から始まる清和学園での生活を通して、どんなに大変なことにも将来と希望を見つける神様の目があなたにもあることを是非、知って欲しいのです。神様の祝福をお祈りします。

2014年2月8日(土) 卒業式式辞

卒業、おめでとう。今日の皆さんのハッピースケールはいくらですか。 勿論、「10でーす! 」よね。新しい門出、船出をする皆さんに一つのことをお話したいと思います。この3年間、或いは6年間、皆さんが聞いてきたことです。問題の中で、今までの自分とは違った見方、他の人とは違った見方が出来る人になって下さい。

皆さんは今日、清和を卒業し、色々な現実に直面します。例えば、道の真ん中に車が停まってます。さあ、あなたはどう見ますか。「何だこんなところで邪魔だ・・」と見るかもしれません。ある人は、「大変だ、こんな所で、困っているだろうな・・」と見るでしょう。どう見るかによって、私達の気持ちも、次の行動も変わります。数学の計算は答えは一つですが、人生計算には色々な答えがあります。あなたが選ぶ解き方で、あなたのものの見方によって、違う答えが出てきます。

瀬谷ルミ子さんという方のことを最近知りました。瀬谷さんは国連のスタッフとしてルワンダとかアフガニスタンなどの紛争地で紛争を止めた後、平和な生活作りを指導するパイオニアとして働いた方です。すごいですよね。しかし、瀬谷さんは高校生の頃、お姉ちゃんと弟は勉強もスポーツも良くできる学校の人気者、それに比べて自分は何をやってもぱっとしない落ちこぼれ。劣等感と負けん気が強く、悩みました。瀬谷さんには自分が求めているこだわりの道がありました。しかし、なかなかうまく開けません。色々な失敗や挫折の中で考えました。「見方を変えよう。自分が求めている道ではなくて、まわりが求めている人、つまり、必要とされる人になろう。」そして、瀬谷さんはアメリカの雑誌「News Week」の「世界が尊敬する25人の日本人」や週刊誌「アエラ」の「日本を立て直す100人」に選ばれるような人となりました。私達も瀬谷さんのように見方を変えることができるなら、違った答え、違った生き方を見つけ、Happy Scaleを高く保ちながらの人生を見つけることが出来るでしょう。

皆さんが清和の毎日のチャペルで学んだことは、物事目に見える現実がすべてではない。目に見えない神がどんな時にもともに居られて、あなたを愛しておられることを思い出してください。今日読んでいただいた聖書を見てもそうです。イエスの弟子達は船出をしました。今日の皆さんのようです。

ところが、嵐に遭ったのです。イエスに言われて船を出したのに、嵐に巻き込まれました。プロの漁師が「死にそうだ!」と叫ぶほどですから、最悪です。その時、「黙れ、静まれ」とイエスが言われると、風も波も静まり、なぎになり、「なぜ怖がるのか、まだ信じないのか。」と言われました。つまり、イエスは弟子達と共に船出して嵐の中で弟子達の心に刻んでおきたかったのです。「嵐に呑まれそうな現実にぶつかることもあるだろう。しかし、その嵐の中にはわたしも共にいることを忘れるな。」

これは、今日清和を巣立つ皆さんへの心です。嵐に遭ったら思い出すんだよ。周りの人々が嵐だけを見て慌てふためく時、「ホラ!わたしもあなたと共にいる。忘れるな!」と言われるイエスを思い出し、あなた自身に、又、まわりにも、言って下さい。「大丈夫、おぼれることはない。」

最後にもう一度言います。問題の中で、見方を変えることが出来る人になって下さい。なぜなら、皆さんは聖書を通してキリストの約束を知っているからです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共に居る」

神様からの祝福を祈っています。

 

 

2014年1月3日 年始のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。

校長  黒田 朔

 

2014年があなたとあなたのご一家にとって祝福に満ちた一年となりますようにと祈ります。                  今年が輝く1年となりますように聖書の素晴らしい約束をご紹介しましょう。

 

「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ、わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。」 イザヤ書 43:19-20

 

私たちは初詣で自分の願いをお願いしますが、神は私たちが求める前に、「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。」と語り、「あなたたちはそれを悟らないのか。」と語ります。つまり、年初めに私たちがするべきことは自分の願いを並べる前に、「今年、神様がして下さる新しいこととは何か・・」に心を向けていますかと尋ねます。

 

神が私たちのためにして下さることは、「わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。」と言うのです。今年、あなたが荒野を歩くことがあるかも知れない、あなたの家族が砂漠を通ることがあるかも知れない、しかし、「あなたが荒野を歩き通せるように道を敷き、渇きで苦しむはずの砂漠を大河が流れる豊かさを喜ぶところとする。」との神の約束があるのです。

 

さあ、2014年はどんな一年となるでしょう。あなた自身に、あなたのご家庭に、清和学園に、いつ、何が起こっても、その経験の中でこの約束を忘れずに、固く握り、歩き続けましょう。これが、1901年、ダウド先生によって清和学園が始められて以来、神を信じ、神に期待して来た清和学園流の歩き方です。

 

さあ、神のご期待を心に刻み、歩き始めましょう。

「わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。」 イザヤ書43:21

 

 

2013年12月14日 チャペルクリスマス礼拝

「今年、クリスマスをしよう」

メリー・クリスマス! 寒い中、本当に良くお出で下さいました。皆さんの中にはこんなクリスマスは初めて・・と仰る方も居られるでしょうね。味わってお帰り下さい。今夜のお話の題は「今年、クリスマスをしよう」です。

皆さんはどんな風にクリスマスをなさいますか。ケーキを買って、プレゼントを交換する・・いいですね。ケーキとプレゼント・・これがクリスマス・・私もそう思っていました。ある年、丁度クリスマスの時期にアメリカに行くチャンスがありました。本場のクリスマス、どんなケーキがあるのか・・楽しみに行きましたら、何とケーキなどありませんでした。調べてみますと、クリスマスケーキの本場はアメリカではなく、何と、日本の不二家だそうです。クリスマスとケーキはもともと関係なかったようです。では、クリスマスをするとはどうすることなんでしょう。お聞き下さい。

人生は出会いで決まる・・と言われます。

そして、クリスマスをするとは人生を輝かせる出会いをすることです。

あなたの人生、輝いていますか。 イイや・・とか、もっと輝きたいと思われる方は、クリスマスをしてください。

この清和学園が始まったのは今から110年以上も前の1901年、アメリカからの宣教師Miss Dowd、ダウド先生が二人の貧しい少女を引き取り教育したのが始まりです。当時の高知の農村や漁村では娘を売るほどの貧しい家庭もあったそうで、この二人の少女は逃げ場を探している中でDowd先生に出会ったのです。この二人の少女にとってダウド先生との出会いが文字通り人生を変えました。その内の一人は菊池千鶴さんというのですが、彼女は石井謙亮(けんすけ)さんと結婚して、戦争に負け、高知も焼け野原となり、最も厳しいところを通っていた1947年に、清和学園の校長となったご主人と共に校長夫人として清和を支えたそうです。もしダウド先生との出会いがなければどうなったでしょう。良い出会いをすることは人を変え、その人の人生を輝かせます。

実は、千鶴さんに輝く人生を与えたダウド先生自身も人生を変える出会いをしていました。ダウド先生はアメリカのミシシッピー州の弁護士の家庭で育ったお嬢さんでした。そんな彼女が27歳の若さで見たこともない日本、しかも、当時、一度来たら何時帰れるかも知れない土佐にまで来て、清和学園を始めてくださったのはどうしてですか。彼女自身がイエス・キリストを知った時、人生が変わり、輝いたからです。そして、このうれしい、人生が輝く生き方をまだ会ったことのない日本の友達に知らせたい・・と高知に来、貧しく、病弱の女の子を引き受け教育しました。その働きは高知の人々の心を打ち、戦前の昭和8年、1933年、高知市議会が全会一致でダウド先生を表彰することを決議、外国人としては初めて表彰状と金一封が送られ、76才で高知を離れるという生涯、高知を愛する人生を生きたのです。イエス。キリストに出会ってMiss Dowdの人生は考えられないような人生へと変わりました。

しかし、イエスキリストに会って人生が変わり、輝いた第1号、クリスマスをした第1号は羊飼い達でした。何が起こったか・・・皆様が今、手にしておられるプログラムに、キリスト教の原典である聖書からの抜書きが印刷されています。ぜひお読み下さい。

羊飼いと言うと緑したたる草原、あちこちに湖があり、アルプスホルンの音が遠く聞こえるハイジの世界を思い浮かべますが、ユダヤ、イスラエルではとんでもない、緑などはありません。良くこんなところで羊を飼ってるよ・・と思うようなところで野宿しながら、休み無しの仕事です。今で言う、誰もなりたくない、3Kの仕事です。きつい、汚い、危険・・当時、ユダヤ人が神様を礼拝するには羊が必要でしたから、羊飼いは無くてならない仕事でした。しかし、休み無しで働く羊飼いは毎週土曜日の礼拝を守ることが出来ないために人々からは嫌われ、差別されました。彼ら自身、どうせ俺達は何をやってもだめなんだ・・王様が変わろうが、景気がよくなろうが、俺達羊飼いには関係ないよ・・人生を諦め、半分投げていたのです。

そんな羊飼いがいつもと同じように徹夜で羊の番をしていた、ある夜、天使が現れ、こう告げたのです。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

そんな話、聞いたことも、考えたこともありません。

オイ、オイ聞いたか、俺達のために救い主がお生まれになったと・・その先のベツレヘムで・・そんなことある訳ないよ・・どうする?・どうするって、行く気かよ・それこそ羊をどうするんだよ・・

遂に彼らは決心し、行くことにしました。見つけました。聞いたとおりでした。イエス・キリストに出会ったのです。この出会いが羊飼い達を変えました。

羊飼い達は気づいたのです。世の中、俺達のことを3Kと言おうが、無視ししようが、俺達自身が諦めようが、神様はお忘れではなかった。私達は知らなくても、神様は知っていてくださる。神様は私達を忘れては居られない。神様はわたしを覚えていてくれる・・この出会いが、その夜、彼らは喜びの人、喜び輝く人たちに変わりました。

現在もそうです。人から認められない、どんなに頑張ってもどうにもならない。確かにそんな現実があります。しかし、それが現実のすべてではありません。そんな私達を決して忘れはしないお方がいます。それがクリスマスに人となられたイエス・キリストです。

そのキリストに出会って喜びを伝えたくてダウド先生はアメリカを離れ、わざわざこの高知にまで来てくれました。ダウド先生に出会った千鶴さんは校長夫人として清和学園を支える人生を生きました。彼らは自分を輝かせる人生を見つけたのです。清和学園は今も、生徒一人ひとりに「ひとりひとりが生かされ、輝く」をスクールモットーとして人生を輝かせる出会いとその素晴らしさを伝えています。

今年、クリスマスをしましょう。

このチャペルクリスマスが終わり、家に帰るとあなたの現実が待っています。クリスマスをするとは、あなたを待っているその現実の中で、私にも馬小屋に生まれてくださったイエスキリストが居られるのか・・と思い出し、味わって見ることです。その時、羊飼いのように、ダウド先生や千鶴さんのように神に覚えられている世界に生きる人となり、輝き始めます。それがクリスマスをすることです。

このチャペルクリスマスは年に一度です。しかし、皆さまの近くには清和学園を支えて下さっていますキリスト教会があります。ぜひ、キリスト教会を訪ねて下さい。12月22日の日曜日、クリスマスの礼拝にご参加下さい。

最後に祝福のお祈りをします。

 

天の父なる神様、

この一年、色々なところを通りましたが、今夜、穏やかにクリスマスを迎えることが出来ました。ありがとうございます。私達はあなたのことを知りません。あなたは私達を心に留めていてくださいます。そのことを思い出しつつ残された2013年に良いまとめをつけることが出来ますように。

来るべき2014年、ここにおられる皆さまとご家族の上に、その仕事や学びの上に、又、この清和学園の上にあなたの豊かな祝福を注いで下さい。

キリストのみ名により祈ります。アーメン

 

2013年6月12日 学校記念日礼拝

「清和で行こう」  マタイによる福音書5章8ー9節

今日は創立記念日ではなく、学校記念日です。
どこが違うか、いつ建てられて何年たったかという時間、歴史よりも、この学校が何のために建てられたかという目的を忘れず、大切にしようという日なのです。そこで、今日、生徒皆さん、保護者の皆さん、同窓生の皆さん、勿論われわれ教職員も揃って、清和学園のファミリーとして確認しましょう。「清和で行こう」時代が変わり、学校、家庭、色々な対人関係の中で、問題を感じたら、思い出して、言って下さい。 「清和で行こう。」

「清和で行こう」とはどういうことでしょう。
清和学園という名前は マタイによる福音書5章8ー9節 からとっていることはご存知でしょう。
5章8節 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
5章9節 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。


この聖書から「心清く、平和を作り出す人」を育てるための学校ですよと名乗りを上げているのです。これは素晴らしい名前です。
「心の清い人」とは、あっちもこっちもと都合の良いように二股をかけたりせず、一心に神を見つめ続ける人のことです。「平和を作り出す人」とはそんな人と一緒になって、協力する人のことです。

つまり、清和とは、一心に神を見つめて歩む人とその人を支えて一緒に協力する人を育て、送り出す学校と言う意味です。始める人と支える人。素晴らしいことが起こるにはこの二つのタイプの人が必要です。例えば、イエス・キリスト誕生はイエスの母のマリヤだけでは起こらなかった。もう一人、ヨセフがいました。マリヤが天使に「あなたは身ごもって男の子を生みます。」と言われた時、ひたすら、神様をだけ見上げ、見つめて「おことば通り、この身に成りますように」と告白します。必死でした。しかし、ヨセフはマリヤの妊娠を知って悩みました。その悩むヨセフに同じ天使は語ります。「恐れないでマリヤを迎えなさい。」その時、ヨセフは決心をし、マリヤを引き受け、支えてイエスを迎えました。マリヤになるには勇気が要ります。しかし、勇気ある人を一人にさせず、「私もします。」と手を上げるのも勇気が要ります。そして、この二人がいてクリスマスです。清和はこんなマリヤとヨセフのような、「心清く、平和を作り出す人」を育てるための学校です名乗りを上げているのです。

しかし、今の世の中では「心清く、平和を作り出す人は幸いです。」という聖書のことばより、ばれない様に上手にズルする人、人に迷惑かけても自分のやりたいことだけはチャッカリ済ましてる人・・そんな人のほうが幸せだ・・と考えられ、心清い正直者は馬鹿を見る・・、平和を作り出すより、けんかに強いほうが得だと思われているかもしれません。
見かけはそう見えるかも知れませんが、それも、自分のズルがバレず、自分は損しない範囲でのことです。逆なら話は変わります。自分のズルがばれ、自分がえらい損したら、「しまった。えらいことした。正直に言っておけば良かった。自分勝手をしなきゃよかった。」と後悔するのです。

見せかけとその場限りのやり方では人生を喜び、楽しむことは出来ないことは分かっているのです。でも、自分ひとり真面目になっても、一人貧乏くじを引いているのではないか・・と心配なのです。そんな私達を聖書は励ましてくれます。幸いな人とは、心清く、平和を作り出す人。幸わせになりたければ、心清く、平和を作り出す生活をしなさい・・。

「先生、そんなの古い、いまどき通用せんき・・」と言う人がいます。
チョッと考えて下さい。皆さん、理科で天動説と地動説について学びましたね。
今は誰でも地球の周りを太陽や月、星がまわっていると考える人はいません。しかし、500年くらい前までは地球は宇宙の中心、太陽や月も星が地球の周りを回っていると信じてきました。見掛けに頼って「天動説」を信じていたのです。ところが、15世紀に入り、船で海を渡る人々が増え、星によって船の位置を知ろうとして天文学が進みました。すると見かけどおりに地球は中心、動きはしないと考えていては説明できないことが色々でてくるの及んで、とうとうコペルニクスは今までの考えをひっくり返し、自分たちの住む地球が太陽の周りを動いていると考え方を変え、地動説を唱えたのです。その結果、宇宙は広がり、遂に月にまで人が行きました。昔は夕日を見て、明日は良い天気だと位はいえました。しかし、今は、21世紀に日本国内で見ることのできる皆既日食の回数まで計算できるのです。後10回、次は2030年6月1日。

考え方を変えて見ると、みんな、説明がつくようになった、私達もそうです。自分の都合や好みを中心に周りを動かそうとしてきた自分中心の生きかたから神さま中心に考え方を変えてみる。その時、世界が変わります。

マリヤが一心に神に向かって生きる決心をした時損をしましたか。いいえ、婚約者ヨセフを生涯のパートナーとすることが出来、彼女は喜び歌う人となったのです。「アベマリヤ」(ルカ 1:46-48)です。
「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」

今日、ここにマリヤが居たら叫ぶでしょう。「幸せになりたければ、心清く、平和を作り出す生活をしてごらん。・そうしたら分かるから・・」 これが清和です。生徒の皆さん、学校は実験室。あなたのクラスで、マリヤになって見てください。次はヨセフの出番です。そして、だんだん上手になると叫びましょう。「清和で行こう」あなたの家庭でマリヤになってみて下さい。ヨセフが現れ、家庭が変わります。そして、言うのです。 「清和で行こう。」

2013年4月8日(月) 始業式メッセージ 

「沖に漕ぎ出して、網を下ろして見なさい。」    ルカによる福音書5章1-11節

ハワイに居た頃、色々な人が訪ねてきてくれました。「昨日はどうしましたか。」「昼はラーメン食べて、夜はお寿司、一日一緒に来た友達とショッピング・・。」それも悪くはありませんが、それなら帯屋町筋でも出来そうです。せっかくハワイに来て居るのですから、もったい無い。でも、考えて見ると、わたし達も同じです。皆さんも先生も今、清和にいます。それなら、清和だからできることをして見てはどうでしょう。あなたはこの一年をどんな一年にしたいですか。1年生はドキドキですね。2年生は清和がもう良く分かっています。3年生はこの一年で高校生活の仕上げです。どんな一年にするかあなた次第です。

そこで、今朝はチャンスをつかみ、人生を変えた男シモンの経験を見てみましょう。このシモンは後にイエスキリストの一番弟子ペトロと呼ばれるようになったガリラヤ湖の漁師です。この間、新しいローマ法王フランシスコが選ばれ、祝福の祈りを奉げたあのバチカンの大聖堂は聖ピエトロ大聖堂と言われ、ピエトロつまりペトロの名前が記念としてつけられています。それだけではありません。ピエトロの名前がついたサラダのドレッシングがありますよ。しかし、ペトロは元々わたし達とは関係のない、2000年前のイスラエルのガリラヤ湖の漁師だったのです。

そのシモンに何かが起こったのです。或る日、シモンは魚を獲ろうと徹夜で頑張ったのですが、何とその夜は一匹も取れません。がっくり来て、早く家に帰り、風呂にでも入って、寝ようか・・と思っていた、そんな時に(3節)「イエスは、そのうちの一つのシモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。」「嫌やぁー、何で私やねん、もう一艘船があるじゃん。」この時、シモンのハッピースケールはほとんどゼロ。ところがそれでは終わりません。イエス様は話を済ました後で、「深みに漕ぎ出して、網を下ろして魚を取りなさい。」と言われました。「イエス様、もういい加減にして下さい。今のシーズン、魚は夜、獲るものです、おまけに昨日は最悪、一匹も取れなかったんですよ。」とシモンはイエス様を無視することも出来ました。しかし、(5節)「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」とシモンは答えました。この一言がシモンの人生を変えたのです。人生を変える一言というと格好良く聞こえますが、この時のシモンには格好が良いどころか、面白くない、疲れて面倒くさい、おまけに「舟はもう一艘あるのにどうして私なの。」と文句だらけの中からの一言、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」この一言がシモンの人生を変えるきっかけとなりました。

「沖に漕ぎ出して、網を下ろして見なさい。」新学年を迎えたわたし達にも同じチャレンジが聞こえます。「せっかく清和で学んでいるのです。他校ではできない、清和だから出来る経験をしてごらん。」とのチャレンジです。清和だからできることとは、先ず、チャペルです。毎朝のチャペルでは、先生方がこれだけは知っておいて欲しいというお話、つまり、先生方が見つけた「青春の極意」を話します。チャペルで聞く先生方の「青春の極意」をあなたの青春のガイドラインとして心に留めて見てください。もう一つは、清和で出会った友達です。今年、新しいクラスメートになった友達を大切にしてください。清和学園で出会ったクラスメートは競争相手ではありません。お互いの違いを通して自分自身に気付かせ合う大切な仲間です。お互いの違いを認め、受け入れあい「生涯の友」を見つけます。こうして、「青春の極意」と「生涯の友」を見つけ、「清和へ行ったのでわたしの人生が変わりました。」と言いたいものです。

「沖に漕ぎ出して、網を下ろして見なさい。」シモンと共にチャスを逃がさず、スタートを切りましょう。神様の祝福を祈っています。

2013年3月16日  清和女子中学校卒業式・式辞 

「自分で考え、行動する人になってください。」 

今年の卒業生はいつも中山先生を先頭に、元気な、仲良しクラスでした。あだ名をつけるとすればカルガモ家族、春になるとお母さんを先頭に雛が行列作って歩いているカルガモ家族です。しかし、今までは中学生、それでよかった。今日の聖書にあるとおり・・

「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。それらは頭に戴く優雅な冠、首にかける飾りとなる。」(箴言1章8-9節)

教えられたことを大切に守る・・大事なことです。

しかし、これからは高校生、もう一歩成長して、自分で考え、行動する人になってください。

「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」(箴言1章7節)

神を畏れるとは神さまを怖がると言う意味ではありません。

神さまを認め、敬い、神様に従うことです。清和のスクールモットーは「一人一人が生かされ、輝く」ですが、高校生になると新しい友達が大勢は言ってきます。藤川さんは世話を出て新しい友達の中に入ってゆきます。その変化の中で、一人一人が、自分らしさで生き、輝くためには、神さまを認め、敬い、神様に従うのです。つまり、高校生になると何が神さまに従うことかを、自分で考え、行動する人になるのです。

仲良しカルガモ家族はかわいいですが、「みんな一緒・・」に安心して、自分で良く考えない、間違っていても一人じゃないからまあ良いかと自分の責任だと思わない・・だから時々失敗します。

実は、最初の人アダムとエバが失敗をしました。神さまはアダムに約束をお与えになりました。たった一つの約束でした。「エデンの園の中央にある木の実は採って食べるな、採って食べるその時、必ず、死ぬぞ。」アダムはこの大切な約束を妻のエバに教えました。ある日、蛇がエバに言いました。「そんなことはない。食べると神様のようになるよ。」蛇にそそのかされたエバは取って食べるなと言われていた実をどうしましたか? そうです、とって食べてしまいました。自分でよく考えなかったからです。そして更に、エバは自分が食べた実をアダムに「あなたもどう?」と渡すと、仲良し夫婦の夫アダムは食べてしまいました。夫婦仲良しは大事です。しかし、一人一人が自分で良く考えようとしない仲良し夫婦は危ない。

このアダムとエバの失敗の後、私達人間は神さまに素直になれなくなり、神様に従うよりは、離れて生きる方が楽しく、自由と感じるようになり、私達もそうしやすい。しかし、聖書は、そうじゃない、神さまを認め、神様のお言葉に従うことが、あなたが輝いて生きる土台だよと語り続けています。

以前、チャペルで紹介したことがありますが、石川正一君のこと覚えていますか。正一君は幼稚園の5歳の時、転びやすいことが分かり、小学生の7歳で筋ジストロフィーだと診断され、11歳2ヶ月歩けなくなりました。皆さんと同じ中学生、14歳のとき、正一さんは思い切ってお父さんに尋ねました。「父さん、僕の病気は何?」お父さんはもう本当のことを言う以外にないと思い「正ちゃんの病気は筋ジストロフィー、治療法はなし。20歳までのいのち。」・・言いました。しばらく黙っていた正一さんは結構明るくこういったんです。「案外短いんだね。」どうして落ち着いておれたのでしょう。

しばらく前のことです。正一さんが歩けなくなったとき、みんなが言いました。「正ちゃん、しっかりするのよ、頑張らなくっちゃだめよ。」「ウン、頑張る・・でも、頑張るって、どうしたらいいの?」

普通なら、今日できなくても練習すれば明日出来る・・希望があります。筋ジスは今日できていることが、明日は出来なくなるのです。・・どう頑張ればいいの・・お母さんはたまらなくなり、何か言わずに居れずにいいました。「正ちゃん、今冬だよね。正ちゃんや父さん、母さんの心みたい。冬ってつらくって寂しいね。でも、神さまは冬の後には必ず春を下さるから、正ちゃんにもきっと素晴らしい春を下さるのよ。信じようね。」

その時、背中でおんぶされてる正一君が言ったのです。「そうか、分かった。冬があるから春がくるんだね。それが神様の愛だね。僕信じるよ!」  主を畏れることは知恵の初め。

正一君はこの時、神様を認め、その約束を信じました。神さまは厳しい筋ジスの人生は僕を選んで任せられた神様の台本だ。神様から選ばれ、任されたのなら、手抜きをしないで、最後まで生きると心に決めました。どうなりましたか。二十歳までのいのちといわれていた二十歳の誕生日に彼は書きました。

不幸であるはずの 重荷でさえも 私の心は春のよう

こぼれるほどの恵みを受けて 神の台本が続く限り 私は生きる

人々が不幸だと決め付ける筋ジスの人生をボクのための神様の台本と受け止めたからです。正一君は二十歳を越えて23歳と半まで正一君らしさで輝いて生きました。

さあ、皆さんも今日、中学を卒業します。正一君とは違いますが、高校生としてみんなと一緒ではなく、人がどういうか、みんながどう思うかではなく、自分でよく考え、神様を信じるとは何をすることかを見つけて歩んで下さい。

神様の祝福を祈っています。

 

 

 

2013年2月9日 卒業式・式辞 

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

マタイによる福音書5章8-9節

卒業、おめでとう。今日のハッピースケールは10ですね。今日、卒業し、明日からはひとりひとり自分の道を歩きます。いつも、何でも相談できた友達も明日は傍にいません。そこで卒業に当たり、独り歩きを始めて「ハッピースケール3、今日はやばい!」と思う日のために覚えておいてください。ハッピースケールを上げる「清和方式」があります。

数学などは正解は一つですが、人生計算では答えは一つではありません。あなたが選ぶ計算法によって答えは違ってきます。こんな話があります。少し昔、アメリカの一流靴メーカーがアフリカ進出を企画、営業マンを送りました。アフリカに着いた営業マンは本社に連絡しました。「望みなし。理由は、誰も靴など履いていない。」会社は確認のために別の営業マンを送りました。彼は空港に着いた途端に連絡しました。「望みあり。靴を直ぐ送れ、理由は、誰も靴を履いてはいない。」

どういうことでしょう。最初のセールスマンは「誰も靴を履いてない、だから売れない。」と出来ないことを考え、二人目の営業マンは「誰も靴をまだ履いてない、だから、全員に履かせることができるぞ。」と出来ることを考えたからです。「靴があるだけ、皆、送れ。よーッし、やるぞっ!」ルンルンでハッピースケールは10、最高です。皆さん、覚えておいてください。あなたが選ぶ計算法で人生の答は変わります。

2010年6月13日 小惑星探査衛星「はやぶさ」が小惑星「いとかわ」に行き、サンプルをとって戻ってきました。60億キロを飛び、7年がかりでの帰還には世界中が驚きました。プロジェクトの責任者の川口潤一郎さんはこういっています。「もし私達が出来ないことを考え、数えていたら、今回の成功は絶対起こらなかったでしょう。交信が途切れ、計画よりも3年も遅れ、4基のエンジンが皆寿命が尽きて故障した。しかし、その故障した4基のエンジンの使える部分を組み合わせ、一基のエンジンとして生きかえらせ、世界が驚く奇跡の帰還が実現したのです。その理由は「もうだめ・・」としか言いようのない中で「できることは何か」を考える人たちがいたからです。

そこで、今日から清和の卒業生となる皆さんに覚えておいて欲しい。もうだめだとしか言いようがないときが来たら、その時、「待てよ、今、出来ることは何か」と考える人となって欲しいのです。あなたがいることで、その場が変わる「心の清い人」「平和を作り出す人」となって、清和学園の卒業生として活躍して下さい。目に見える現実はもうだめであっても、それが現実のすべてではありません。皆さんはここ清和学園で、目には見えなくても神様はいつもあなたと共に居られることを学び、知っているからです。神様の祝福を祈ります。

 

新年明けましておめでとうございます。

今年、あなたとご一家の上に神さまの祝福が注がれますように祈ります。

年初めには一年を通じて心に留め、大切にする聖書のことばを求め、今年の言葉として心に刻んだのが冒頭のことばです。校長としての2年目、いよいよ本番を迎えようとしている私には特別な励ましとして心に響いた言葉です。

見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。

あなたがたは、それを知らないのか。

確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

旧約聖書 イザヤ 43:19 

「あなたがそのまま歩み続けるなら、やがて滅びる。」預言者イザヤは神の民イスラエルに警告し続けてきました。しかし、警告だけではありません。イザヤを通して神は語ります。

見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。

あなたがたは、それを知らないのか。

確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

旧約聖書 イザヤ 43:19

神の目には困難の中で行き詰まっている私たちではなく、その困難や行き詰まりを跳ねのけて、新しさの中に躍り出ている私たちが映っているのです。神は愛するものが本来の姿で生き、輝いてほしいのです。そのために神は「荒野に道を、荒地に川を設ける。」と約束して下さっています。

私たち教職員は一人一人の生徒と学園の中に「起ころうとしている新しいもの」に注意し、それを大切に育てます。生徒の皆さん、保護者の皆さん、あなた自身とご家庭に「起ころうとしている新しいもの」に目を向け、大切にしてください。やがて、一年を終えるとき、新しく開かれた道、流れ始めた川を見て、共に喜び、感謝しましょう。私たちは清和ファミリーです。

 

2012年 チャペル・クリスマス

  「ちょっと変わったクリスマスプレゼント」  ルカ2:8-20

メリークリスマス!

寒い中、ようこそ「清和チャペルクリスマス」にお出で下さいました。

如何でしたか。高校生の降誕劇で最初のクリスマスにイエス・sキリストがどのようにお生まれになったか、中学生劇で、イエスキリストに出会った時、けちのJamesが子供達を喜び、自分も幸せ人生をつかんだことをお分かりいただけたでしょうか。兎に角、クリスマスはイオンでサンタの誕生日を祝うのではありません。いや、何でも構わん、ケーキを食べて、プレゼントを交換し、みんなで楽しむ、それで十分・・と仰る方も居られるかもしれません。・・確かにそれも悪くはないでしょう。しかし、今夜はこのチャペルの中に居るわたし達すべてのための「ちょっと変わったクリスマスプレゼント」を紹介したいのです。あなたにも是非、受け取って、お帰り頂きたいのです。 

ところで、プレゼントの準備も大変ですね。ハワイから日本へ帰って、30年ぶりのクリスマス、小学生の孫は何でも持っているんです。二十歳を過ぎた孫娘に「これは・・」と思う服を送ってもなかなか着て貰えません。もっと新しい、もっと格好の良い、もっと上等の・・・もっと、もっと、もっと・・です。でも、これは孫のクリスマスプレゼントだけではありません。昔々コマーシャルに 「大きいことは良い事だ」というのがありましたが、小さいより大きく、弱いよりモット強く、モット豊かに、モット速くと、日本はモット、モットの道を国を挙げてひたすら走り続けています。 

先日ニュースで近い将来にリニア中央新幹線が開通すると、67分で東京大阪間を結ぶそうです。わたしが清和の生徒の年頃は、東京・大阪間を特急ツバメが格好く走っていました。所要時間は8時間。それがやがて67分。

私達はもっと、もっと、もっと・・と満足のハードルを高く上げ、確かに生活は豊かで便利になりました。しかし、私達は幸せになりましたか。今の生活に満足がありますか。一年3万人を越える人が苦しみや寂しさの中で自分の命を絶ち、若者は何でも持っているけど、将来への希望と夢がない。それを見ながら親は言うのです。「昔は良かった。」「私達の子供のころは夢があった。」

豊かで便利なことを幸せで満足のある生活とだとどこかで、大きな勘違いしてきたようです。もし勘違いをしたら、気付けばやり直します。 

昨年3月11日の大震災、津波、原発事故はそれに気付かせてくれました。

私の神学校の後輩に佐藤彰という牧師が居ます。彼は福島第1原発まで5km、原発に一番近い教会の牧師です。彼がわたしの所へ来て食事しながら話してくれました。「黒田さん、今日、この後、帰る所がなくなったらどうします。・・考えられませんよね。でもそれが起こったのです。」

この後帰る家がない、明日から行く仕事場、学校がない、家族もどうなっているか分からない・・。頑張り築いてきたすべてを失う、すると、どうなったか、満足のハードルがグ・グーッと引き下げられて、雑魚寝できる場所、食べるものなら缶詰でも、温かい味噌汁なら尚のこと、それより生きていることへの感謝が湧いてきたんです。 

どういうことでしょう。豊かさと便利さを手に入れようとモット、モット、人よりもモットも多く、今よりもモット速くと頑張る間に、見失っていた共に生きる喜び、小さなことに感謝する世界へと引き戻されたというのです。

モット、モットの生活は崩れることがあります。しかし、崩れ、失った時に、喜び、涙を流すほどに感謝が出来る世界があったことに気付かされたというんです。それは「モット、モットの世界」ではなく、今まで忘れていた「ちょっと違った世界」です。そして、クリスマスはその「ちょっと違った世界」への招待状が私達に神様から届いた日なのです。 

今から2012年前、ローマ帝国を治めていた皇帝アウグストは命令を出しました。「人口調査をせよ。すべての人は出身地に戻り、登録をせよ。」税金を集めるためでした。そこで、当時の人々は旅を始め、ヨセフも身重のマリヤと共に出身地ベツレヘムへと旅立ったのです。 

しかし、旅に出ない人たちが居ました。羊飼いたちでした。彼らは貧しく、殆どが雇われ羊飼いで、預かり物の羊の番のために旅に出られません。当時の善男善女なら必ず守った毎週土曜日の礼拝も守れません。彼らは人口調査の数にも数えられず、世の中から相手にされない、取り残された人々でした。彼ら自身が俺たちがどうなろうと誰も気にする者なんて居やしない・・と時代の流れの中で、自分の人生を半ば投げていた人たちでした。 

クリスマスはそんな彼らにビックリニュースが届いたのです。

2:10 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

民全体に与えられる大きな喜びとはユダヤ民族に約束されていた救い主が来られると言うニュースです。「それにしても、どうしてそんな大ニュースを国を動かす政治家や金持ち、学者や有名人ではなく、俺たち羊飼いに言うんだよ・・!」 羊飼いたちは戸惑いました。そんなこと信じれるかよ、それも、何で俺たちに・・、それに俺たちは羊をほうっておくわけにはいかん。」 

あなたが羊飼いならどうしますか。羊飼いたちも同じです。そこで話し合い、その結果、彼らは言ったのです。 「さあ、ベツレヘムへ行こう。そして、神様が知らせてくださったことを見てこよう。」

彼らは急ぎました。ベツレヘムに着きました。そして、見つけたのです。マリヤとヨセフ、飼い葉おけに寝かせてある赤ちゃんイエス。全部本当だ!聞いたとおりだ! 

しかし、彼らが見つけたことは赤ちゃんイエスだけではありません。自分たちの勘違いに気付いたのです。「今まで、誰も俺たちのことを心配してくれるものはいやしない、神さまなんて居るはずがない・・と思ってきたけど俺たちは忘れられては居なかった。私達にも神さまが居る!」

世間に忘れられ、自分達でさえ、人生とはこんなもの・・と半ばあきらめかけていた彼らが・・しかし、しかし、それがすべてではない。「あなた達には救い主が居られる。」羊飼いたちは「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」 諦めの人が喜びの人になりました。人生が変わったのです。「ちょっと変わったプレゼント」とはイエスキリストです。そのプレゼントは受け取る人とその人生を変えるのです。 

そして、今年のクリスマス、あなたとわたしにもこのメッセージが届いています。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」 

清和学園では毎朝チャペルがあります。私はチャペルで生徒達に毎回尋ねます。「皆さん、今朝あなたのハッピースケールはいくらですか。」最悪を0、最高を10とするハッピースケールで、今朝の私は幸せかしら・・と省みる習慣をつけてほしいのです。今年のクリスマス、あなたのハッピースケールはいくらでしょうか。

3.11、あの福島第1原発まで5kmであったために、佐藤牧師は何もかも失いました。100年先を考えて2年前に建てたばかりの教会堂にもはや帰れません。しかし、震災後5日目にシャワーに入れてもらった時、床にダンボールで寝ていたのが布団で寝た夜、そのありがたさに泣き、久々に温かいものを口にしたときには、味ではなく、その温かさに涙がこぼれた。そんな経験を通して「私達は見えるものを失って、まことに豊かなものを得たのかもしれません・・」と言うのです。 

そうなのです。私達の目で見るハッピースケールがたとえ、2や3であっても、それが現実のすべてではない、羊飼いたちやけちのJamesを変え、又、佐藤牧師を支えた「救い主・イエス様」が居ます。あなたのために来てくださった救い主を覚え、自分の心と生活の中にお迎えするとき、あなたにもクリスマスがやってきます。その時、私たちも自分らしさを見つけ、輝くことが出来るのです。 

こうして「一人一人が生かされ、輝く学園」という清和学園のスクールモットーが実現し、卒業後直面するいろんな現実の中で、それがすべてではない、決してあなたを忘れない救い主イエス・キリストに支えられて「まことの豊かさ」に生きることが出来る。これこそ私たち清和学園がミッションスクールとして生徒達に伝えているメッセージです。                                                                                                                                                                                                                    さぁ、ご一緒に、クリスマスを祝いましょう。お近くの教会にお出かけ下さり、クリスマスをお迎え下さい。 メリークリスマス! 

 

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。

わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

新改訳聖書 伝道者の書  12:1

 

8月も終わりが近づき、学校では静けさの中にも、新学期に向かっての準備が始められています。校長としての働きに就かせていただいて、早や、半年近くが過ぎようとしていますが、毎日が緊張の連続で、40年以上続けさせていただいた牧師生活より神様の助けを求めつつ歩いているような気がします。冒頭の聖書のことばは先日教師研修会で、今わたし達が生徒に届けたい聖書のことばとして選んだものです。

 

今、清和学園では中学3学年で22名、高校3学年で108名、合計130名が学んでいます。一人一人色々な思いを持って清和学園に入学していますが、私たちは清和学園に生徒となった全員が「清和学園に来たから自分らしさで輝けるようになりました。」と言って卒業してくれるようにと願いつつ、育てています。

 

そのために、今、清和学園だけが出来ること、それは毎朝のチャペルを通して、「あなたのハッピースケールは、今朝はどのくらいですか。」と「幸せ度」を尋ねます。毎日自分自身と向き合う時を持ち、その上で「私たちがどんな現実に直面しても、それが現実のすべてではなく、どんな現実の中にも私たちを愛して下さる神様が共におられるもう一つの現実がある。」ことを伝えていることです。

その毎日の積み重ねを通じて、私自身を含めて教師が先ず輝き、生徒たちがそれを見て輝き始める学園としたいのです。

 

又、インターハイにまで出場し活躍するバドミントン部や伝統のハンドベルクワイア、華やかなバトンなどど並ぶ部活の一つとして今までの聖書部をJoy Clubと改め、夏休みには合宿を計画したり、同窓会やPTAの皆様にも輝いていただきたくて「聖書に親む会」を始めています。 まだまだスタートしたばかりですが、やがてこのような取り組みを通して、創立者ダウド先生依頼、111年の歴史を引き継ぎ、清和学園のモットーである「一人一人が生かされ輝く」学園作りに取り組んでいます。

 

皆様も、いつでも機会を見て、学校をお訪ね下さり、お声をかけてくださればうれしいです。まだ少し早いですが、12月15日〔土〕チャペルクリスマスは勿論、毎朝のチャペルを初め、9月7日〔金〕の学園祭、9月22日〔土〕の体育祭などにもお立ち寄り下さい。

このような学校の近況を覚え、今まで以上にお支えくださいますようお願いします。

清和女子中高等学校校長       黒田 朔

「清和学園の合言葉」

2012年6月12日 学校創立記念礼拝 1コリント1:18-21

「山」と言えば、「川」・・ 「AKB」と言えば、「大島ゆう子」

と通じ合う、それが合言葉。山って何、AKBって? ゆう子って誰、それ?

・・と言うのでは話になりません。もし仲間なら誰でも知ってるサイン、それが合言葉です。

 

では、清和学園ではいつでも、誰でも、これだけは知っていると言うもの、清和学園の合言葉は何だろう・・そんなものあった?と言う人も居ると思いますそこで今日は、学校記念日でなので、みんなで確認したいんです。

 

清和学園の出発点は、今から111年前の1901年、家庭が貧しくて、行き場がなくなってしまった二人の少女をダウド宣教師が引き取って、生活を助け、勉強を教え、世に送り出したことだそうです。

 

皆さんの中にも居るかもしれません。お父さんやお母さんに反発している人・・。しかし、娘が親に反発して家出したのではありません。親が貧しくて、もう面倒見れないから出て行ってくれ・・と親が娘を追い出したのです。親に追い出され、帰る家がなくなったと言うのです。親も娘も大変だったでしょうね。しかし、神様はその大変さの中に居る二人のために、ダウド宣教師をお用いになり、その「帰る家がない大変さ」が清和学園の出発点となりました。

 

今日、ここに居るわたし達一人ひとりにとっても難しいことがあるでしょう。しかし、その難しさを神様は用いてよいものに変えてくださるお方です。清和学園の歴史の中に、他にも大変なことがありました。ロビーに展示されている清和学園の年表を見てください。

1927年 火事で校舎が丸焼けになった、それも、4年前に新築したばかりの校舎です。 さてどうしますか。 神様ならきっと出来る・・そして、翌年1928年、校舎は建て直されたのです。

その火事から15年経った、1942年、戦争中のことです。キリスト教は敵の宗教だと言う誤解のために、「清和学園の教科から聖書を取り除きなさい。そうしなければ、高等女学校として認めません。」と言われました。 さてどうしますか。

当時の校長先生、松山先生は「聖書は清和学園の命です。形だけでも、聖書を読むことを止めるわけにはいきません。」と言って、礼拝を続けるために高等女学校であることをやめました。

 

私たちならどうするでしょう。この全校舎が津波で使えなくなったら・・、清和学園が毎朝のチャペルで神様を礼拝することを止めなければ学校を閉鎖するといわれたら・・。

ダウド先生をはじめ清和学園を任されてきた人たちは、火事のときも、聖書を読むことを止めなさい、と命令されたときも、「神様ならきっと出来る」と校舎を再建し、「神様ならきっと出来る」とチャペルでの礼拝を守り通してきました。

 

今までだけではなくて、今も、これからも、誰でも色々な問題にぶつかるものです。今日、創立記念礼拝に集まっているわたし達は「今」を任されているお互いです。

 

先生方、わたし達はどうでしょう、あなたのクラスで、また、学校で難しいことにぶつかるとき、・・どうしますか。

生徒のみなさん、あなたが難しいこと、悲しいこと、腹が立つこと、どうにもならないと思うようなことにぶつかったとき・・どうしますか。

 

私たちだけではありません。先程お読みしたコリントの町のクリスチャン達もそうでした。かりんとではありません。コリントですよ。コリントってどこにありますか。もうすぐロンドン・オリンピックですが、オリンピックはどこで始まりましたか。そうです。ギリシャの古代都市アテネです。コリントの町はこのアテネからバスで2時間ほど西に向かって走ったところ、高知だと四万十市くらいのところにあるギリシャで有名な、力のある町でした。コリントは財政的にも豊かで、学問にも優れ、戦争にも強く、また、「アフロディテ」と言う女神の神殿があり、世界中の人をひきつけ、丸で怖いものなしの町のようでした。

 

そんな怖いものなしのコリントの町でパウロは叫びました。「皆さん、罪を悔改めてキリストを信じなさい。イエスキリストはあなたを愛して、十字架にかかりました。」 誰も人は聞いてくれません。パウロはもうだめかな・・と思ったのです。ところが、新共同 使  18:9-10

18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」

 

パウロは思いました。「神様が居られる、神様ならきっとできる。」そして言ったことばがこれです。 「 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(1コリント1:18)

これは言い換えるとこうです。目の前にある難しい現実の中で、十字架のことば、つまり、「聖書を神様の約束だと言ってまじめに信じるのはあほみたい」と言う人も多いけれど、わたし達は神の力として信じて進みます。これこそ「ダウド先生スピリット・・神様ならきっと出来る。」です。

 

私たちもそうです。いつも繰り返していることを思い出してください。確かに大変なことは起こります。しかし、私たちにはそれが現実のすべてではない。あなたには、私たちには、この清和学園には、もう一つの現実がある。

「聖書は神のことばです。そして、神様にはきっと出来る。」これが、清和学園の合言葉です。

 

人々が言うでしょう。「聖書を神様の約束だと言ってまじめに信じるのは愚かです。あほみたい。」しかし、わたし達はパウロと一緒に言いましょう。「 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(1コリント1:18)言い換えるとこうです。聖書のことばを馬鹿にする人たちはやがて滅びます。しかし、聖書のことばを神のことばと信じるわたし達は救われます。」

 

わたし達はいつも、特に困難にぶつかるときには言いましょう。「聖書は神のことば、私たちの力です。この神様ならきっと出来る」これが、清和学園の合言葉です。合言葉はことばに出して叫ぶことが大切です。

 

県体・・バドミントンの応援に行きました。応援にいったんだから、みんなが「清和学園頑張れ」と思っています。そんなこと分かってるんです。選手だってそうです。一年間、毎日練習してきたんですから、「頑張るぞっ」そんなこと、当たり前です。言わなくたって、分かっています。

だから、黙ってますか。応援団も何にも言わないし、選手も何にも言わない。分かってる・・頑張るよ・・

分かってるから、声に出して叫ぶんです。「イッポンデ~ス!」

ミスしたって大丈夫。だから、叫ぶんです。「ドンマイデ~ス!」

 

ダウド先生たちはいつも言いました。「神様ならきっと出来る」

今日は、清和学園学校記念礼拝です。わたし達はダウド先生からの信仰のバトンを握っています。「聖書をまじめに信じるのはあほみたい」と言う人が居ても、わたし達は叫びます。聖書は神の力です。神様ならきっと出来ます。

これが、清和の合言葉です。難しいとき、悲しいとき、もうだめだ・・と思うとき、クラスで誰かが叫ぶのです。難しい問題を抱えたとき、職員室で誰かが言います。「聖書は神の力です。神様ならきっと出来ます。」そのとき、事態は変わります。この創立記念礼拝を祝い、感謝しつつ、清和女子中高等学校の合言葉を確かめ、叫びましょう。

 

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。  (1コリント1:18)

 

お祈りしましょう。

 

「校長先生、二ヶ月目・・」

 

校庭の桜がつつじに、裏山の鶯が稲田の蛙の鳴き声に変わり、ゴールデンウィークを終えて校長先生二ヶ月目に入りました。新任の感動や印象を薄れないうちに書きとめ、お分かちしたいと思います。

 

先ず、清和学園での感動は「これはクリスチャン・スクールだ!」です。

最近、ミッションスクールとしてその実質を堅持している学校はきわめて少数ですが、清和学園はその一つです。先ず、全教職員がクリスチャンです。次に、学園生活は毎日、職員の朝礼、全学園のチャペル、終わりのホームルームまで祈りで始められ、祈りで閉じられます。ビックリしました。今は毎週の礼拝をご挨拶を兼ねて諸教会をお訪ねしていますが、「清和学園をよろしくお願いします。」と私が言う前に、皆さんから言われるのです。清和学園は高知県下の諸教会に支えられている学校です。ビックリしました。

 

次に分かった事は、「一人張り切ってもダメ」です。

「CHANGE!」(変革)を訴えたのはオバマ大統領でしたが、校長が変われば何かが変わる・・との期待を抱いていたのは私自身かも知れません。登校して3日目、高一の宿泊研修がありました。朝の集会でのお話を頼まれ「いいですよ。」と二つ返事で引き受けた私は聖書の話を始めて聞く高一のために色々と準備をし、朝5時起きをして香北青少年の家に駆けつけ、一生懸命お話したのです。それから2週間して保護者会で配られた「宿泊研修の感想文集」に書かれていたのは自分達で作ったカレーの味、夜のルール違反でさせられた正座での足のしびれ、乗り切れなかった創作劇などで、校長先生の話についての感想はどこにもありません。そうなんです。校長先生一人が張り切ってもダメなのです。CHANGEは誰かの頑張りで起こるようなものではなく、一人ひとりの思いの中に神様が始めて下さるものなのでしょう。今は、そのCHANGEのきっかけとなれればうれしいと思っています。

 

そこで、二か月目を迎えた今、先ずよく知ることから始めたいと思っています。そのために、生徒の皆さんのために聖書・奉仕部をJOY CLUBと名前を変えて近いうちに集まりたいと願い、保護者や同窓会のみなさんのために「聖書に親しむ会」(別掲)を始めたいと計画中です。

どこかで案内を見つけたら、ぜひ、友達を誘ってぜひ参加して下さい。あなたを歓迎します。

 

見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。

あなたたちはそれを悟らないのか。

わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。

イザヤ43:19

 

 

『ユーモアにあふれた神様』

― 新任のごあいさつ ―

「学校の先生と牧師にはならない。」これが結婚の時の私の約束でした。ところが何と約束違反をして牧師となり大阪の岸和田で13年、ホノルルで28年、合計41年間を牧師として働き、昨年4月に引退した後、「必要があればどこでも行きます。何でもします。」をモットーに「牧会おたすけマン」となり、9月、ニューヨークでいたときのことでした。清和学園の校長としてのお話が飛び込んできたのです。自分はならないとの約束だった牧師を引退した後、今度は先生ですか・・驚きました。神様はユーモアにあふれたお方のようです。「お前は勝手に先生と牧師にはならないなどと言ってはいたけれど、牧師になってどうだった?」「楽しかったです。感謝してます。」「では、もう一つ、今度は学校の先生はどうだ?」

私自身の人生シナリオとは全く違う道を「神さまシナリオ」と信じ、お受けする事にしました。神様はユーモアたっぷりの神様です。あなたもいつまでも自分勝手なことを言っていると「それなら・・」と神様が仰るかも知れません。

 

1901年、アンニー・ダウド先生によって始められて以来、清和学園は110年の間に戦争、苦しい戦後体験、ベビーブーム、経済高度成長を通り、やがてバブルがはじけ、今は経済後退や少子化などを経験し、その時々の世の中の必要に応える学校として多くの卒業生を世に送り出してきました。その上、今は環境汚染、国際テロなどの人為的な問題に加えて、今まで経験したことの無い東日本大震災の中で、「あなたは何を人生の目標とし、何に希望を見つけようとしているか。」と問われています。

 

この大きな問いかけを前に清和女子中高等学校は素晴らしい光を持っています。それは創立者のダウド先生以来、光としてきた聖書です。聖書が「初めに神は天と地を創造された。」と語るように、神ありとして世界を見直す世界観、神に愛されている者として自分を見直す人生観によって、今まで見たことの無い世界を生徒達に示し、誰からも教えられなかった素敵な人生を生徒達と分かち合える学校、それが清和女子中高等学校です。

 

「清和教育の中心目標は理想的人間の育成にあり、形成である。生徒ばかりでなく、職員も共に、励ましあい、助け合って、その目標達成のために努めている。この点で私は遠慮なしに日本一だと、いつも思う。」との元理事長・橋本亘さんのことばを何度も読み返しました。

今年、私と共に入学した皆さんと保護者の皆さん、教師や同窓の先輩の皆さん、後援会、評議員や理事の皆さん、そして、祈り支えて下さる諸教会の先生方は兄弟姉妹までが清和女子中高等学校のビッグファミリーが「共に、励ましあい、助け合って、清和女子中高等学校は日本一」と言えるよう、又、言っていただけるように、心一つにして、よく励み、学園生活を共に楽しみたいのです。今、私が清和学園の校長室でこの文章を書いているユーモアあふれる神様の奇跡を喜びながらこれから何を見せてくださるだろうと楽しみにしています。

 

校長室はいつもオープンです。どなたでもお立ち寄り下さい。清和女子中高等学校が神様と人々に喜ばれ、必要とされる学校となれるようにお気づきの事をお聞かせ下さい。お出でのときはお電話(088-863-1200)頂ければうれしいです。

 

聖書のことば

しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。

(1コリント2:9)