校長からのメッセージ
将来に託す女子教育。
キリスト教主義にもとづいた心の教育を行い、将来社会において責任を全うし、個性の輝かせることのできる女子教育を行います。
一人一人が生かされ、輝く学園
(二〇一〇年度入学式式辞より)(略)清和教育は、創立当初より変わることなく目に見えるものではなく、目に見えない存在に目を注ぎ、感謝と畏敬の念を持ち、自分自身を愛するように隣人をも愛せよと言うキリスト教の愛と赦しの精神を礎に置いています。そして学校教育の本質である神様から託された子供達一人一人の賜物を生かし輝かせると共に、子供達自身が学ぶことの楽しさ、喜びを覚えて本当の自分に出会い、将来と希望を持つ事が出来る教育を目指して歩む学園であると自負しております。しかし、聖書に「一人よりも二人が良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、一人がその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友の無い人は不幸だ。…一人が攻められれば、二人でこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。」と記されているように、清和教育を意味あるものにするには、子供と保護者と教師が三つよりの糸とならなければなりません。保護者の皆様のご理解ご協力をどうか宜しくお願いいたします。
清和学園は、1901年アンニー・ダウド先生が貧しい2人の少女を引き取って始められた愛と祈りに基づいたキリスト教教育に端を発しています。からし種のような小さな愛の教育は、その後イエスキリストの『心の清い・・平和を実現する人々は幸いである、その人達は神の子と呼ばれる。』という言葉から心の清い平和を実現する女性の育成を目指す学園、清和と名づけられ、今に至っています。そのために、創立以来、学校生活は神を賛美し、神の恵みに感謝する毎朝の礼拝から始まります。入学された皆さんは、『あなたは私の目に値高く、貴い。私はあなたを愛する。』と言って下さる神様の下で、知的教養を身につけながら、『地の塩・世の光』として歩むための心と力を培わなければなりません。
皆さんの大半の者は『選ぶ難しさ』と『捨てる難しさ』に直面し、心悩ませ、捨てる決断を余儀なく下し、今=此処に居ると思っているかも知れませんが、私はこの学園に集められた全ての者は、神様に選ばれて、此処に集う事が許された者だと確信しています。しかし、皆さんがそのことを実感するのは3年、6年先、この学園を卒業する時であろうと思います。思春期を歩んでいる皆さんには多くの難題が待ち受けていることも否めません。『現在の苦しみは、将来私達に現されるはずの栄光に比べると、取るに足らないと思います』『見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものを誰がなお望むでしょうか。私達は、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。』とパウロが聖書に記すように、皆さんの将来と希望は、今から此処で忍耐しながら、ある時には自分を変えながら、神様から頂いた賜物を磨き育んでいく事によって得られるものです。パウロは『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む』とも記しています。今、この場所は、皆さんにとっては、春の陽光を受けて色や形の定まらない野や山のように、ぼんやりかすみ、ゆらいで心細い思いを胸に過らせている場所かも知れませんが、神様があなたのために準備してくれた一番良い場所であるかも知れません。『私は愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから熱心に努めよ。見よ、私は戸口に立って、叩いている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をするであろう。』と言って、静かに心の扉を叩いて下さっている神様がいつも共に居て下さるのです。音が聞こえたなら心の扉をそっと開けてください。此処でしか吹かない風を感じ、此処にしかない居場所が用意されている事に気付くはずです。いつも聞く耳のある者として歩んで下さい。
また、皆さんはこれから先、自分を変えなければいけない状況に出くわすかもしれません。そんな時、あなたの手助けとなり、心の支えとなるのは本を読むことではないでしょうか。それも難しい本ではなく、童話や絵本を手に取り表紙を開けて下さい。きっと、それらの本の中に新たな命の息吹と感動が秘められている事に気付かされると思います。本を読むことは、ただ、静かな時が過ぎているだけで、何の得が得られているかを目で見る事は出来ません。けれども、良い本と出会い、そのページが捲られる度に、あなたの心は揺す振られ、深い感動と共に、自分が自分であるために、心がより大きく成長していくのです。
皆さんはオスカー・ワイルドの『幸福な王子』を読んだ事があるでしょう。川岸の葦に恋して仲間と一緒に帰りそびれた一羽のツバメと生きているうちは幸福そのもので、人の痛みが、涙がどんなものかも知らずに過した王子の話です。王子は、死んで町を見下ろす円柱の上に金の像として置かれて初めて、人の醜さや惨めさが見えてきました。鉛で出来た心臓も痛みを感じるようになり、流れ落ちる涙が黄金の頬を伝い落ちるようになりました。ツバメと出会った王子は、先を急ぐツバメを引き止め、全身を覆っていた金箔を、二つの目に輝くサファイアを、刀の柄の赤いルビーを貧しさや心痛めている人々に運ばせます。そして全てを分かち与え終わった時、そこに一羽のツバメの死骸と王子の鉛の割れた心臓だけが残りました。そして神と共に永遠に生きるものとされたのです。私達人間にとって手に入れたい最高の価値ある愛と平和もその分だけただならぬ対価を、犠牲を必要とします。この『幸福の王子』と小さなツバメは、哀れみの心を持って苦しみを分かち担い合うために、誰にも知られずに、誰にも感謝されない形でそれを実証しました。私達は本を読む事を通して、人と人とが出会い、生きていく上に無くてならないもの、愛によって紡ぎ出された思いやりの心が育まれていくのです。心の源である命の重さを感じながら私達は、自らの生き方を見つめ、人は如何に生きるべきか、人が人として生きるに大切なものは何かを問い続けなければなりません。
私達人間にとって本当に大切な事は自己を発見し、自分を愛し大切にして生きていくことです。『あなたは私の目に値高く尊い。私はあなたを愛する』と言って下さる神様に愛され、大切にされていることに気付き、自分の命の重さを感じて生きていくことができるならば、他人の命をも大切なものとして受け留めて愛する事が出来るのです。聖書に『何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある』と記されているように、私達はまず自分の心を守らなければなりません。一つしかない命は、日々費やされ、取り戻す事も、何ものによっても取り替える事もできないかけがえのないものとして心を育んでいます。今=此処で過す時間や生活は取り戻す事の出来ない大切なものです。大切な命を、時を自分のものにしなければなりません。そうすれば自分の命の重さや尊さがわかるだけでなく、他人の命の重さも尊さもわかるはずです。値高く尊いと言ってくださる方に私達は生かされ、心が培われている事を忘れてはなりません。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』というイエス・キリストの愛と祈りの精神によって立つ清和学園で学ぶ事を許された皆さんには、何よりも本当に大切なものに目を向けて謙虚に人の痛みの分かる心を育んで欲しいと願います。これからの皆さんの3年間・6年間の学園生活が神の豊かな祝福の下で将来と希望が与えられますようにお祈り致します。 入学式にて