清和の歴史
110年の伝統の上に立つ
生かされ輝く教育。
恵まれない2人の少女を自宅に招き教育を始めた…。アニー・ダウドの神と人とに奉仕する隣人愛の精神は109年を経た現在も受け継がれています。
| 学校沿革 | |
|---|---|
| 1887年(明治20) | アニー・ダウド、宣教師として来高。 |
| 1901年(明治34) | ダウドが恵まれない家庭の子女(小笠原春・菊池千鶴)を自宅に集め教育を始める。 |
| 1907年(明治40) | 名称が高知女学会となり、高知市鷹匠町に二階建て洋館校舎を建築。 |
| 1919年(大正8) | 各種学校の許可を受ける。終業年限を五年とし、高等女学校程度の学力を身につけさせた。教科は聖書、英語、音楽、手芸一般など。 |
| 1936年(昭和11) | 高知女学会は廃校になり、設立当初から続いた全寮制が廃止される。清和女学校が創立される。 |
| 1942年(昭和17) | 太平洋戦争が激しくなる中キリスト教排斥の動きが強まり、高等女学校への申請が不許可となった。 |
| 1945年(昭和20) 八月十五日 | 終戦 清和女学校は戦前・戦中・戦後、一貫して「聖書は清和の生命だから、これを除くことはできない」と聖書中心の教育方針をつらぬいた。 |
| 1953年(昭和28) | 高等学校として認可され、学校法人清和女子高等学校となる。 |
| 1963年(昭和38) | 第一回公開クリスマス開催。本当のクリスマスを高知市民に知らせるために学内の行事としてではなく一般公開として土電文化会館ホールで開かれた。 |
| 1965年(昭和40) | 清和女子中学校を併設する。 |
| 1974年(昭和49) | アメリカの教会よりハンドベルが寄贈され、ハンドベルクワイアーが発足。 |
| 1983年(昭和58) | 学校の制服をブレザーから現制服に改める。 |
| 1985年(昭和60) 九月 | 上本宮町の校舎老朽化にともない、南国市明見に移転する。 |
| 1989年(平成元) | バドミントン部全国高等学校総合体育大会(高知県)に初出場。 |
| 1991年(平成3) | 東館校舎を建設する。 |
| 2001年(平成13) | 開校百周年 ダウド館(寮)完成。 |
| 2011年(平成23) | 開校110周年。 |