礼拝の話

2025/09/17 

岡 村(理科)

聖書 使徒言行録 20章35節

私はこの夏、「世界バレー」を見ることを楽しみにしていました。
試合を見ながら、ここまでどれだけ練習を重ねてきたのだろうと考えると、選手たちの努力に胸を打たれ、ボールを必死に追いかけ、最後の一瞬まであきらめない姿や、チーム一丸となって粘り強く戦う姿に感動しました。
ある選手がインタビューで「どんな苦しい場面でも、応援してくれている人の声が聞こえると、もう一度立ち上がれるのです」と話していました。
応援されることは、エネルギーであり、一人ではないと実感できる瞬間なのだと思いました。
応援には祈りも込められているのだと感じました。
「けがをしませんように」「最後まで力を出し切れますように」。
そんな祈りとともに応援とは、心の優しさが形になったものなのだと思います。
そして不思議なことに、応援することで、祈ることで、自分自身も力をもらえるのです。
そして「応援できる」ということ自体が、とても幸せなことなのだと気づきました。
世界には、戦争や争いの中で、スポーツ観戦すらできない場所、生きることに精一杯で、応援も勉強もできない子どもたちがいますが、私たちは、安心して学校に通い、仲間と学び合い、スポーツを楽しみ、応援することができます。
これは平和の中に生かされていて、決して当たり前のことではありません。
だからこそ、私に何ができるのだろうか考えたとき、その1つは祈ることだと感じました。
「どうか無事でありますように」「笑顔を取り戻せますように」
その祈りは、見えないけれど確かな応援です。
きっとどんなに小さな1歩でも、同じ時代に生きている人たちのことを考え祈り、応援することが明日への希望へと変わっていくように思いました。
今日、ここにいる私もまた、与えられている平和を大切にし、祈りと応援を通して、だれかを支える人になっていけたらと思います。

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