礼拝の話

2025/09/25 

日本基督教団土佐教会 成田信義牧師

聖書 ルカによる福音書 16章17節

室戸市出身の牧師さんに島村亀鶴さんという方がおられました。
室戸は仏教、真言宗の開祖、空海のゆかりの地です。
島村牧師は、幼いころから仏教に慣れ親しんで育ちましたが、出会いがあってイエス・キリストを信じて、何十年も牧師として生きた著名な人です。
ある時、牧師仲間の一人が亡くなりました。
その牧師は亡くなる間際、「お坊さんを呼んでくれ」と言ったそうです。
その話を聞いた将来牧師になる若者たちは、「牧師なのに最期にあんなこと言ったら人生台無しだよね」と言い合っていました。
そこで、島村牧師は若者たちに、自分もそうなるかもしれない、と言いました。
若者たちは、島村牧師ともあろう人が、そんなことあるはずがないと思ったに違いありませんが、島村牧師の話は続きます。
「わたしは、それでもええんやと思う。自分には仏教が無意識の中に当然のように浸み込んでいる。でも、イエスさまがこの自分をつかまえてくれたその事実は変わらない。そう、わたしは信じている。だから、坊さんを呼ぼうが、お経を唱え始めようが、イエスさまに捉えられ、生かされている事実は何も変わらない。」
この島村牧師の言葉に、神の想いの確かさを見るような気がします。
私たちは間違ってしまうことがあります。
けれども、私たちを想う神の想いは決して変わることも、ぶれることもありません。
私たちは今日も、いのちそのものを、愛され、ゆるされ、必要とされています。
文字の一画すら欠けるべきではないという厳格さをもって大切にされているのは、他でもない、神の想いよって創られた、私たち一人ひとりです。

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