礼拝の話

2025/10/14 

校長 小西二巳夫

聖書 マルコによる福音書 15章6~15節

「火中の栗を拾う」という表現があります。
日本では「火中の栗を拾う」は肯定的な意味で使われますが、元々は否定的な意味の言葉でした。
肯定的な意味と否定的な意味、このように何かをきっかけに言葉の意味が変わることを「語義変化」といいます。
人間の歴史上最もスケールの大きな「語義変化」とは何かを考えてみると、それが書かれているのが今日の聖書箇所です。
バラバかイエス、どちらを釈放してほしいかと尋ねられた群衆はバラバを釈放し、イエスを十字架につけるようピラトに迫ります。
政治犯を裁く刑としての十字架は否定的、マイナスの意味を持っていました。

しかし、イエスの十字架は救いのしるしです。
イエスが十字架に掛かることによって、十字架の意味がマイナスからプラスに変わったのです。
イエスの十字架によって、自分には生きる価値がないと思っていた、思いこまされていた人が、希望をもって、共に生きてよいと考えるようになりました。
その意味でイエスの十字架は人間の歴史上最大のスケールの語義変化だといえます。
イエスが十字架に掛かるイコール火中の栗を拾うことです。
人間は自分に起こること、身の回りのこと、そして社会や世界のことを「火中の栗を拾う」の話のように損か得かで考えます。
しかし人間関係を始め、物事を損か得かで考える限り、私たちが安心して生きていける平和を実現することはできません。
それを教えてくれるのがイエスです。
イエスが私たちに求めているのは、お互いの弱さを大切にする生き方をすることです。
そのために、イエスは火中の栗を拾う、十字架に掛かられた、そのことに気づきたいのです。

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