礼拝の話

2025/06/02 

校長 小西二巳夫

聖書 ヨハネによる福音書 3章16~17節

朝日新聞の土曜日の朝刊の1面に「命の重み」という見出しの写真が載っていました。
それはパレスチナ・ガザでの戦闘で死んだイスラエル兵士の葬儀に集まった仲間が抱き合って泣いている場面を写したものです。
見出しの「命の重み」は命を奪ったのは誰かとの問いかけになっています。
戦闘の中で命を失ったのですから、奪ったのは敵の兵士です。
しかし、それはあくまで結果であって、なぜその人が戦闘状況の中に出向かなければならなくなったのかは、別の力が働いていたからです。
何が人の命を暴落させたのか、軽くしたのか、それは戦争です。

召集令状は「赤紙」と呼ばれ、それは郵便はがきと同じ金額の1銭5厘で届きました。
戦争が始まると人の命は葉書代と同じものにされてしまうのです。
今、もし徴兵制度が復活して召集され戦場に行かされるとしたら、その通知はメールかも知れません。
そうすると85円どころかほとんど0円になるのです。
世の中には人の命を「無限の価値を持つもの」から、「85円かそれ以下」に変えようとする方向にいつも「力」が働いています。
この時代に生きている私たちに求められているのは、「85円?それはないでしょう」という思いをしっかり持つことです。
命の重さを85円という軽いものにされてたまるか、との感覚を持って生きることです。

ふつうの人がふつうの暮らしができる世の中こそが大切なのだとの気持ちをお互いが持つことです。
「平和を実現する人々は幸いである」を建学の精神にする清和の私たちに、イエスはそれを求めておられます。

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