礼拝の話

2025/05/28 

藤 村(社会科)

聖書 ルカによる福音書 10章38~42節

日本舞踊のお稽古で、「目の使い方」についての話がありました。
先生の動きはいくらか真似できるようになっても、目の表情は難しいものでした。
できるようになりたいと思い、ふだんの生活から、自分の心の動きを感じ取るように心がけたりしていたある日、「すごく良くなった。ねえ、どうして?」と尋ねられた時の嬉しさは忘れられません。

自分から行動しなければ得られない、と教わったことがあるのに、活かせていないことに気付き、反省したこともありました。それは、大学1年生ときの、英語の授業での経験です。
20人のクラスメイトと、論文を読んでディスカッションし、プレゼンを行い、小論文を書く授業でしたが、担当の先生は「いつでも質問に来るように」と言いました。
クラスメイトは先生の研究室を訪ねて質問し、添削してもらっているのに、自分のできなさを知られたくなかった私はなかなか行こうとしませんでした。
そんな見栄っ張りを見抜いた先生は、授業中に私にとっては耳の痛い話をされました。
先生は、私が思うように会話ができなくて恥じていることも、すべてお見通しで、それでも「良い生徒になりたい」と私が言い出しやすい問いかけをしてくださったのです。
このように、自分から望んで行動しなければ得られないものは、日常でもあると思います。

心から求めると、良いものが与えられる、そのきっかけとなる自分自身の望みに気付き、行動に変えることを大切にしたいです。
そして、自分の望みに問いかけてくれる、誰かの言葉にも、気付きたいと思います。
清和では、一人ひとりの存在がイエスの言葉により大切にされています。
そのことを信じ、今日も学校生活に臨みましょう。

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