礼拝の話

2025/02/25 

1月24日(金) 聖書 マタイによる福音書 20章12~14節 国語科 山岡

私は7人家族です。

兄弟が多いため、洗濯物や皿洗い、親の手伝いをしないと怒られるそんな家族でした。

親に怒られるのではなく、兄弟に「なんでしないの?さぼるな」と言ったり言われたりの関係です。

その時に出てくるものは「平等」という価値観です。

そして、相手より自分の方が偉いという上からの目線です。

自分だけが「手伝いをする、時間を奪われる」という感覚になり、「同じじゃなければ不平等だ」と思っていました。

その考え方は家族だけにではなく、友人にもありました。

たとえば、クラスの掃除で「ほうきをしたから雑巾をして」「昨日これやったから今日はやってね」というようなことです。

私には人間関係を築くうえで「平等」であることが大切でした。

「同い年だし、これくらいはできるでしょ」と相手のことを決めつけ関わっていたのです。

「平等」ではなく「公平」にということもよく聞きます。

辞書的な意味では「平等」とは「すべて等しく差別がないこと」「公平」とは「平等で一方にかたよらないこと」です。

どちらが良いのか、そんなことを家族に話すと「最強の二人」という映画を教えてもらいこの冬休みに見てみました。

主な登場人物は二人です。

事故で首から下が動かなくなってしまい車いす生活を送る富豪フィリップ。

介護人を募集しているところにスラム出身の黒人青年ドリスが応募してきて二人の生活が始まります。

二人に共通点はありません。

服や音楽の趣味、生活も違いますが、次第に受け入れあい深い絆で結ばれていきます。

二人共、最初はお互いに歪んでいる視点から始まりましたが、同じ目線で相手を見ていくことで歪みが無くなり互いの良さを知っていくことになります。

今回の聖書箇所はぶどう園の労働者の例え話です。

朝から働いていた人から最後の1時間しか働けなかった人と様々な人がいます。

読んでもらった箇所は朝から働いていた人が主人に文句をいう箇所です。

この話から教えられることは、巡り巡って互いを支え合っているということです。

狭い「不平等」や「不公平」という価値観にとらわれていては本来見えるものも見えなくなってしまいます。

視野を広げることで分かることがあります。

それは相手の良さや自分の本来の良さです。

「不平等」や「不公平」を超えた先に学ぶものや見えてくることがあります。

そうすることで人が人らしく生きることにもつながるのです。

自分中心ではなく、相手のために。

相手の立場になって考え、神さまが与えてくださった私らしく生きていきたいと思います。

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