礼拝の話

2024/10/17 

10月15日(火) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章10~11節 社会科 山脇

最近少しずつですが、子どもが言葉を覚え始めました。

外出した際、鳥や花などが目に入ると、「あっ」「あっ」と言って指をさします。

飼い犬のことを呼びながら話しかけると、指をさしながら犬の名前を呼びます。

周りの人の声や音を聞きながら、少しずつ言葉を覚えていっているようです。

飼い犬にお菓子を分けてあげたり、ごみをごみ箱にきちんと捨ててくれたりと、会話はできなくても、こちらが伝えたことを、子どもはしっかり理解しているということが分かります。

まだ自分の思いを言葉として伝えられないうちの子は、グズることも多々あります。

言葉で自分の思いを伝えられない子どもは、いろいろな仕草や表情、態度で自分の思いを伝えようとしています。

もちろん思いを伝える方法は「泣く」という方法だけではありません。

笑顔で駆け寄ってきたり、手を広げて近づいてきたりもします。

言葉で伝えられない分、体をいっぱい使って自分の思いを伝えようとしてくれます。

言葉で伝えられなくても、顔の表情や体をいっぱい使って何かを伝えようとする子どもの姿を見て、私も、子どもは何を求めているのかを考えます。

私の出した答えが子どもの求めていることとは必ずしも一致しないこともあるでしょう。

必ずしも言葉や想いを完全に理解していなくても、相手の気持ちに応えようとする時に、それが相手の求めている答えではなかったとしても、通じるものがあるということを、子どもと暮らす中で感じています。

今日の聖書箇所には、「世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはない」とありました。

どんなに美しい言葉でも、どんなに知識あふれる言葉であっても、そこに伝えようとする想いと、受け取ろうとする想いがなければ、今日の聖書にあるように、その美しい言葉は、知識あふれる言葉は、空中に浮いたままになってしまうのかもしれません。

逆に、つたない表現であっても、不完全な言葉であっても、伝えようとする想いと、受け取ろうとする想いがある時は、単に言葉からだけでなく、表情や雰囲気からも相手の言いたいことや伝えたいこと、その想いが伝わるのだと、改めて思います。

不完全な意思疎通の中で、私たちは日々の生活を送っていますが、その中で、心の中にある言葉を、たとえ完全ではなくても理解しようと努めていきたいと思います。

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