礼拝の話

2024/11/26 

11月6日(火) 聖書 ヨハネによる福音書 3章16節 英語科 畠中

高校2年生の時、自宅で本を読んでいると、点けっぱなしのテレビからある裁判のニュースが流れてきました。

それは、赤ん坊のころに受けた予防接種が原因で子供に重い障害が残ったことの責任を問うために、子供の親が国を相手に起こした裁判でした。

その予防接種の名が読み上げられた時、私ははっとして読んでいた本から顔を上げ、テレビの画面にくぎ付けになりました。

それは、私も生後7か月の赤ん坊の頃に同じ予防接種を受け、高熱が出て、このまま容体が変わらなければ死亡もしくは重い障害が残ると医師から宣告を受けたことがあったからでした。

私は重い障害が残ることも無く回復しましたが、後遺症があったので、回復した直後からずっと治療が続いていて、物心がついた時にはすでに、ほぼ毎日治療に通うことが私の日課になっていました。

小学校を卒業し、中学校の入学式を数日後に控えた頃、もう大丈夫だから、明日から治療に来なくて良いよと言われた時にはとても嬉しくてほっとしました。

これまで私は周りから、あなたが助かったのは幸運だったと言われてきました。

もともと私は自分に対する劣等感が強く、出来ないことばかり数えて、よく自分を責め、そんなダメな自分の命が助かってしまったことを申し訳なく思っていました。

それ以来、自分が生きている意味は何か、とか、自分には生きる価値はあるのか、とか、そんなことをよく考えるようになりました。

さて、その時から何十年も経ちました。

今の私は、自分が生きている意味や価値があるとか無いとか、そのようなことは考えません。

自分の出来ないことばかり数えたりもしません。

なぜなら、生きる価値のない人など一人もいない、全ての人が価値のある尊い存在であるということ、そしてその中に私も加えられているということがわかったからです。

そもそも私たち一人ひとりに用意された人生に、失敗などありません。

私たちに求められているのは、自分の人生を力いっぱい生きることです。

私も、悪い所も出来ないことも沢山ありますが、それら全てが私であり、その私を神さまがそのまま受け入れて愛して下さることに感謝して、私も私自身を受け入れて、自分の置かれた場所で懸命に生き、自分の花を咲かせたいと思います。

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