礼拝の話

2023/12/22 

12月12日(火) 聖書 ルカによる福音書 2章15~19節 音楽科 三浦

寒くなってきて、毎朝通っている道に生えていた草花も枯れたり、しおれたりして、どんよりくらい冬の朝に考えたことがあります。

なぜ人は、生きるのか。

これは、ある意味、根源的な疑問、というか、思いなのだと思います。

人はその命を生きる中で、多くの困難にぶつかることがほとんどだと思います。

今まで生きてきて、何ひとつ、困ったことに出会ったことがない、楽しいことばかりの毎日だ、という人は、世界広しといえども、そうはいないと思います。

裏を返せば、その程度は違っても、一人ひとり、人種も、性格も、生活環境も違う私たちは、何かしらの悩みや、困ったこと、悲しいこと、苦しいことを抱えながら、さまざまなことを選択して毎日を生活しています。

今朝の聖書の箇所は、クリスマスに向けてよく読まれる箇所ですが、今朝は、最後の「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」に目を留めたいと思います。

今朝の聖書の箇所の前段には、天使ガブリエルがマリアにお告げに来る場面があります。

このことは、マリアにとって嬉しい報せではなく、ある意味では、結婚の約束をしているヨセフとの破局を意味するお告げでもありました。

しかし、マリアは、驚き、戸惑い、悩みながらも、この天使の言葉を受け取ります。

それは、この、これから生まれてくるであろう、赤ん坊の命を救うためでもありました。

当時の結婚年齢は、今でいう高校生くらいの年代と言われています。

時代背景が異なるので、単純な比較はできませんが、それこそ、マリアとヨセフは、それぞれの進路、生き方についての選択をそれぞれに迫られたのです。

そう考えると、自分自身のことだけでなく、すべてのことを、これからあるであろう、辛いこと、大変なこと、それらをも含めて、自分はどのように生きるべきなのかを考える、ということは、どのような場合においても、とても大切になるということがわかります。

天使から知らされたこと、羊飼いたちが訪れたことなどを、マリアは心に留め、思い巡らしていた、といいます。

それは、自分の人生における、苦難、喜び、それらすべてを想像し、さらには、受けとめ生きる覚悟をした、ということではないでしょうか。

そして、この生まれた子どもに、その人生をどのように歩んでもらいたいか、知らない者たちが神を賛美していくほどに喜ばれて生まれてきたこと、を機会があれば伝えよう、そのように考えたのではないかと想像します。

キリスト教学校で学ぶということは、聖書を通して、生き方を学ぶ時間、生き方を考える時間が与えられているということだと思います。

特に、このクリスマスを迎える時期は、それぞれのキリスト教学校が、それぞれの学校のクリスマスを前に準備を重ねる時でもあります。

この時に、物事を深く考える、ある事柄についてじっくり時を過ごす、ということは大切でしょう。

朝の道で、もう1つ考えたことがありました。

それは、明けない夜はない、ということ。

どんなに暗く、悲しく、もうどうしようもないと思っていたとしても、朝は、わたしたちの意志とは関係なく、来ます。

1日24時間、一人ひとりに与えられている時間をどのように用いるのか、このことをわたしたちは日々考え、生きることが求められているのでしょう。

思い悩み、選択に迷い、どうしてよいかわからない時でも、わたしたちは最終的にお任せできる方がいることを知っています。

そのことを支えに、今日1日、そしてチャペルクリスマス本番まで、更には2学期の終業の時までしっかりと1日1日を過ごしていきたいと思います。

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