礼拝の話

2024/12/26 

12月9日(月) 聖書 マタイによる福音書 25章44~46節 校長 小西二巳夫

高1の聖書の期末試験に、クリスマスは何の日ですかという問題を出しました。

イエス・キリストの誕生日と書いたら×で、誕生を記念する日、祝う日なら〇でした。

何かのために、誰かのために、自分の存在が利用される、使われることを嫌がらず、お好きなようにと懐の深いのがイエスです。

その中でもイエスが一番喜んでくれるクリスマスの過ごし方があるとしたら、それは自分の生き方を真剣に見つめ直し、今という時をどのように過ごすのかを考える人になる時間にすることです。

それにぴったりの人が一人思い浮かびます。

アレクセイ・ナワリヌイ、今年の2月16日にロシアの刑務所で亡くなりました。

突然の死でしたが、でも世界中の多くの人がやっぱりと考えました。

刑務所に入るというと何か悪いことをした、犯罪者となるわけですが、ナワリヌイにはそれは当てはまりません。

誰もがナワリヌイは悲惨な死に方をしたと思いました。

けれど死後に出された手記を読むとそうではないことがわかります。

刑務所の生活が劣悪にもかかわらず生活そのものを楽しんでいることがわかります。食事でパンが出されるのは日曜日だけです。

彼を苦しめるための嫌がらせですが、彼は日曜日のパンを、お祭りの日のごちそうだと、それを楽しみに1週間過ごすのです。

これは、ある人にとって不満たらたら環境でも、ある人は喜べる満足できる生活ということもあることを証明しています。

ナワリヌイはたとえ小さくても楽しむ機会を逃さない人だったのです。

ナワリヌイの活動は2000年前に生まれたイエスに重なります。

イエスは貧しさや弱さを抱えながら懸命に生きている人たちこそ、神が愛し救われる人たちだと考えたのです。

多くの人にとってそれはまさに良い知らせ、グッドニューズ、福音となりましたが、権力者にとってイエスは自分たちの立場を危うくする、受け入れがたい存在となりました。

やがてイエスを恐れた権力者たちによって十字架に殺されることになります。

イエスは自分が殺されると知りながら逃げることなく最後まで、人々を愛すること、そしてガリラヤを愛することを貫きました。

そのイエスにナワリヌイはそのまま重なります。

ナワリヌイはプーチンの国家は徹底的に批判しましたが、ロシアに生きる人一人ひとり対しては素晴らしい人たちだと言い、ロシアの風景、文学、音楽を愛しました。

ナワリヌイの行動もまたイエスと同じように、愛することから始まったのです。

ナワリヌイがなくなる少し前の日記に次のように書きました。

「真実を語り、真実を広げよう、それが偽善者で嘘つきな者に対する最も強力な武器だ。それは誰もが持っている武器だ。ぜひこれを使おう」。

イエスは真実を語ったために十字架にかけられました。

ナワリヌイは真実を語ったために刑務所で殺されました。

しかし、それによってイエスもナワリヌイも永遠に生きるものになりました。

多くの人に生きる勇気を与え続ける人になりました。

今はクリスマスを迎える時、アドベントです。

この時代にアレクセイ・ナワリヌイという、愛することに人生をかけた人がいたことを心に刻みたいと思います。

自分もまた、真実を愛する生き方を目指す者でありたいと願います。

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