礼拝の話

2024/05/29 

5月14日(火) 聖書 マタイによる福音書 22章37~39節 音楽科 三浦

「タイパ」という言葉があるということを最近知りました。

それまでに使われていた「コスパ」コスト・パフォーマンスを「効率のいいお金の活用」とするならば、この「タイパ」は「効率のいい時間の活用」を意味するといいます。

この「タイパ」は、人間がよりよく生きるために、と考えられたのだとは思いますが、人がよりよく生きるためには「効率性」が必ずしも正しい方法だとは言えないのだと思います。

今から30年近く前に公開された、犯罪の無くなった221世紀を舞台にしたSFアクション映画があります。

この映画に出てくる社会では、すべてがコンピューターによって管理されます。

誰と出会うか、どのようなことを学習するか、どう行動するか、恋愛、結婚にいたるまで、すべてが管理されているといいます。

ある登場人物ははっきり言います。

「自分で考える必要がないからとっても楽よ。コンピューターが決めた通りにしておけば間違いはないから」。

ある意味、究極の「タイパ」による言葉でしょう。

人間世界、悩みはつきものです。

あれができない、これができない、もうどうしたらいいかわからない、そんな思いを持たなくていいなら、コンピューターに任せる世界もいいかもしれない、とちょっとはそう思うかもしれません。

でも、自分が望まないことまですべてコンピューターに決められる世界だったら、人として生きることに意味を感じられるのかどうか不安になります。

人が生きるということは、その命の時間を使っている、ということです。

そこには、効率だけでは測れないものがあります。

そこには、機械ではわからない、わたしたち自身の思いというものが現れるからです。

今朝の聖書の箇所には「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」とあります。

心を尽くすこと、精神を尽くすこと、思いを尽くすこと、隣人を自分のように愛することは、時間があるからする、ということではないでしょう。

自分の心を動かし、自分自身を見つめ、その相手に向き合い、新しい1日を歩む中で、わたしたちが人間として生きていることの意味を見出すことが必要なのだと思います。

中高生時代は、多くの事柄に出会い、悩み、苦しみ、それと同時に、喜びも、楽しさも身に着けていく時間です。

一人でその楽しみを見出すこともあれば、多くの人と共にそのことを感じ取ることもあるでしょう。

今日1日もしっかりと、自分自身を見つめ、心を動かす1日にしたいと思います。

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