清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2024/06/12
ミヒャエル・エンデの「誰でもない庭~エンデが遺した物語集」という本を読みました。
ミヒャエル・エンデは「モモ」や「果てしない物語」、で有名なドイツの児童文学作家です。
この本を読んで考えたことがあります。
学ぶ、ということの根本には、人が一人の人として、物事をいろいろな方向から考えることができるようになるため、ということや、多くの選択肢がある中で、自分に今必要なことがどのようなことかを判断できるようになるため、という目的があるように思います。
人が生きるということは、悩みやどうにもならない壁にぶつかっても、なお生きる、ということです。
自分で解決できることもあれば、解決できずに苦しい思いに苛まれることも多くあります。
その時に、それまで自分自身の中に培ってきたもの、積み上げてきたもの、思いがけず自分の中にしまってあったものによって、次の1つの道が示されることがあります。
今日の聖書の箇所では「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」とあります。
ミヒャエル・エンデは「ものがたりの余白」という文書に「ギリシャ神殿において、重要なのは柱ではなく、柱の間の空間なのだといっても間違いではないように。つまり、見えないもの、余白とされるものが実はもっとも重要なのです」と書いています。
このことは、わたしたち学ぶ者にとっては「試験と試験、その間にある日々の学びがもっとも重要なのです」と言い換えることができるのだと思います。
その日々の学びを通して身に着けたものを、ある一定の期間にある「試験」という時に自分の中から取り出すこと、これが柱と柱の間の空間を埋めるものになります。
そして、「内なる世界が荒れ果てないために」で、内なる世界、わたしたちの心の世界が荒れ果てないためには、自分の中にある種を育てたり、自分の中に木を植えてみたりしたらどうだろうと勧めてくれています。
自分の中に植えるものですから、一人ひとり違って当たり前です。
なにかの役に立てるために植えるのではないのです。
自分自身が自分自身であるために、植えてみないかというのです。
どのような花がつくのか、実がなるのか、それは分かりませんが、ただそこにわたしたちが思う「それ」が存在する、ということが大切なのだといいます。
今日からの試験の期間、1つ1つの準備をしっかりとしてきたその成果を発揮すると共に、そのあとの結果を受け止める時を大切に過ごしたいと思います。
