礼拝の話

2024/06/12 

5月29日(水) 聖書 ルカによる福音書 24章30~32節 社会科 藤村

これまで、高校2年生の公共と3年生の倫理では、ソクラテスについて学びました。

無知の知や「知を愛する」ことについて、街角で出会った若者と対話を重ねた哲学者です。

大学1年生の頃、ある先輩が紹介してくれたソクラテスの言葉に、「教育とは、火を付け、炎を燃え上がらせることであって、入れ物を満たすことではない」というものがあります。

この言葉を知ったとき、これまでにたくさんの先生方から灯してもらった灯に気付かされました。

そして私のもっている小さな炎を消さないように守り、燃やし続けるためにも、しっかり学ばなければいけないと励まされたものです。

今日の聖書箇所は、十字架につけられた後、復活したイエスが二人の弟子の前に現れた場面です。

弟子たちは、再びイエスの姿が見えなくなったときに、こう語り合います。

「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか」

こうして、弟子たちが自分たちの思いを確かめ合い語り合えるのは、彼らの心にイエスが火を灯し、心の目を開かれたからです。

中高生時代に受けた清和の教えは、今も私自身の灯になっています。

純粋な好奇心をもって学びに向き合わせてくれたこと、苦手なことにも取り組むことの大切さを教えてくれたこと、自分では思いもしなかったような可能性を見出してもらえたこと、学びだけでなく、日頃の生活でも、時に温かく、時に厳しく、導いてもらったことを思い出します。

見守られる環境で、一人ひとりがもともと持っている輝きが認められ、学校生活を通して、その輝きを豊かに増すことができる土壌が清和には備わっていると、当時から思っていました。

そして今も、生徒である皆さんの、学びに向かう姿勢や、仲間を思い大切にし合う姿を見ると、時代が変わっても変わらない、普遍的な輝きを感じることがあります。

今日の聖書箇所はこう続きます。

「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」

心に火を灯され、心の目を開かれた彼らのもとに、平和が約束されたのです。

今、清和での日々を過ごす私自身も、心の目を開き、平和を実現するための努力を重ねていきたいと思います。

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