礼拝の話

2024/06/26 

6月10日(月) 聖書 ルカによる福音書 11章9~10節 社会科 山脇

物事を考えるうえで、その基となる仕組みや考え方をセオリーといいます。

セオリーの意味を調べてみると、一般的な理論や仮説、定石とあります。

このセオリーという言葉は、ギリシア語の「テオリア」を語源とする言葉です。

ギリシア語の「テオリア」は、「物事をじっくり見つめる」という意味ですが、その他に観察する、観察して想像する、「観想」という意味でも用いられます。

「物事をじっくり見つめること」これが「セオリー」のもともとの意味だと考えれば、真剣に目の前にある物事に取り組む姿勢そのものが「セオリー」なのだと思いました。

学園祭に向けて、今年は「平和」という一つのテーマをもとに学習を進めていますが、大きなテーマは同じであってもクラスで発表する内容や方法は同じではないでしょう。

それは、「平和」というテーマに対する一般的な考え方、共通する考え方があったとしても、そこから派生していく、枝分かれしていく考え方や、大きなテーマから細分化された具体的な課題はたくさんあるからです。

一般的な考え、共通する考え方、つまりそこにセオリーがあったとしても、クラスごとの具体的なテーマをじっくり見つめ、そして考えるというセオリーを皆さんが今、行っているからです。

それだけ、物事を見つめる、考えるということは大切な活動なのだと、改めて思います。

今日の聖書箇所は、この朝の礼拝でもよく読まれる箇所です。

イエスは、主の祈りを弟子たちに教えたあと「求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい」といわれたのが今日の箇所です。

イエスは神の救いと真理を「求め、探し」そして救いの門を「たたきなさい」と弟子たちにいわれました。

イエスが弟子たちに語ったこの言葉は、私たちが物事をしっかり見つめ、真理を追い求めること、探し続けること、なかなか開かない扉があったとしても、それを叩き続けること、つまり考え続けることの大切さを教えてくれています。

「平和」という大きすぎるくらい大きなテーマに、皆さんは色んなセオリーを駆使して考え続けています。

この考え続け、学び続ける営みこそが、平和の実現につながる第一歩なのだと信じます。

今日も、私たちの学びが豊かなものになるよう祈ります。

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