礼拝の話

2024/07/19 

7月9日(火) 聖書 箴言 27章17節 社会科 山脇

明日、7月10日は語呂合わせから納豆の日と定められています。

納豆も、その匂いから好き嫌いが分かれる食材かもしれませんが、私は納豆が大好きです。

日本の伝統的な発酵食品である納豆はかき混ぜるとネバネバと糸を引き始めます。

あったかいご飯の上にネバネバの納豆をかけて食べると何とも言えず美味しいです。

陶芸・書道など様々な分野で多くの作品を残した芸術家に北大路魯山人という人がいます。

魯山人は美食家としても知られ、食について細かいこだわりを持っていました。

魯山人は『納豆のこしらえ方』という文書を残していますがその中でかき混ぜる回数について、424回かき混ぜるべし、と言っています。

そんなにかき混ぜるとどうなるのだろうと思い、試しに424回かき混ぜてみると、それまで食べたものとは比べものにならないほど美味しい納豆でした。

納豆をかき混ぜながら、ふと気づいたことがありました。

当たり前かもしれませんが、混ぜれば混ぜるほど納豆は糸を引くということです。

そして糸を引くということは、豆の一粒一粒がつながり合っていくということです。

混ざりあう、隣の豆とこすれ合う、ぶつかり合うことで、納豆は結びつきをどんどん強め、粘り気も出てきます。

納豆をかき混ぜながら、私たちの社会も、そして学校も同じようなものなのかもしれないと、ふとそんなことを思いました。

社会の中で生きていくということは、色んな考えを持つ人と暮らしていくということです。

その最小単位は家族ですし、その枠を少し大きくすれば学校になります。

色んな考えがあるから、時にこすれ合ったり、ぶつかったりもしますが、そこから分離するのではなく、混ざりあうことができれば、粘り気のある結びつきになるのかもしれないと、納豆を見ながらそう思いました。

ちなみに、424回かき混ぜた納豆は、豆一粒一粒が柔らかく感じました。

ぶつかって角がとれて、とはいえもともと豆には角がありませんが、それでも丸みが生まれたように感じましたし、硬さがあった豆が別物と感じるくらい柔らかく感じました。

こすれ合ったことで熱を帯びたのでしょうか、最初は硬かった豆が柔らかくなったように感じたのです。

今日の聖書箇所には「人はその友によって研磨される」とありました。

自分を研磨すること、磨くことは一人ではできない、自分の力だけで自分自身を磨くことはできないと聖書は教えています。

周りに人がいて、周りに友がいて、初めて自分自身を研磨する、磨くことができるということを聖書はいいます。

私たちは今日も、たぶん色んなことでこすれ合ったり、ぶつかり合ったりするのでしょう。

そのことでより強い結びつきが生れることも、柔らかい気持ちになれることもあるでしょう。

今日も神がそのような私たちの歩みを見守り、私たちが結びつきを持つことが出来るように、柔らかい心も持つことができるよう、御心を働かせてくれていることに感謝したいと思います。

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