礼拝の話

2021/09/07 

9月7日(火)聖書 ローマの信徒への手紙 10章17~18節 社会科 山脇

新型コロナウィルスも猛威を振るい、なかなか以前のような生活に戻ることのできないなか、オリンピック、パラリンピック、インターハイ、夏の甲子園が開催されたことは、個人的には嬉しいことでした。

様々な制限があるなか、開催すること自体に批判がありつつも、実際に競技に励む選手の姿を見ていると、思わず「頑張れ!!」と声が出てしまいます。

無観客のなか開催された試合を見ていて、改めて気付くことがありました。

それは、その競技のなかで発生する様々な音です。

走る足音、飛ぶ瞬間の呼吸、サッカーゴールをボールが激しくたたく音、バットがボールを打った瞬間の乾いた音、車イス同士が激しくぶつかる音など、無観客だからこそはっきり聞こえてくる音がありました。

その音の中には選手同士の励ましあいや、掛け声など、普段は聞こえない選手同士のコミュニケーションが、無観客という状況だからこそ聞こえるのだと改めて感じました。

私たちの感覚はとても敏感で繊細ですが、どんなに小さな音でも聞こえる時、どんなに大きな音でも聞こえない時があるのと同じように、見ているのに見えていない時、見ていないのに感じる時、触れているのに気付かない時、触れていないのに感じる時もあります。

それは、単純に視覚や聴覚、嗅覚、触覚といった感覚だけでなく、私たちの心のなかにあるその時の感情や、その時に何を考えているかという思考も含めて、音を聞き、モノを見て、触れているからだと思うのです。

つくづく神の創った人間の体と感覚は、とても絶妙なバランスなのだと思います。

私たちが「聞こえない」「見えない」「感じない」と思う感覚、「聞こえる」「見える」「感じる」という感覚は、神が、私たちに与えた敏感で繊細な感覚に加え、私たちの心を保つために、神が必要なものとして与えてくれた感情、思考にもよるのかもしれません。

だからこそ、自分本位の感情に引きずられすぎず、自分本位の思考に偏ることなく、心のバランスをとることが大切なのかもしれません。

感情が高ぶっている時には、冷静になるように自ら働きかけること。

自分だけの考えに凝り固まっている時には、意識して周りの意見に耳を傾けること。

何より、聖書の言葉に聞く、神の言葉に聞くことを忘れないようにしたいと思うのです。

私たちは、どのような音を聞き、また、どのような音を発しているでしょうか。

どのようなモノを見て、どのようなことを感じているでしょうか。

私たちは自分の基準、考え、思いだけで聞き、見て、感じているのかもしれません。

いつもは聞こえない音に、いつもは見ることのないモノに、いつもは感じることができていないモノに心を向けてみたいと思います。

それらの中に、今まで自分が気付かなかったこと、自分にとって必要なモノが見つかるかもしれません。

この学期の学びのなかで、今まで聞こえなかった音に、見ることができなかったモノに気付き、新たな発見が増えることを楽しみにしたいと思います。

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