礼拝の話

2023/12/21 

12月6日(水) 聖書 ルカによる福音書 1章5~14節 日本キリスト教団 高知教会 松浦子基牧師

クリスマスがもうすぐやってきます。

クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念する日です。

教会ではクリスマスまでの一カ月間をアドベント(待降節)と言って大切に過ごしています。

今日の聖書個所は、イエスさまの誕生に関わっている聖書個所です。

イエスさまの母親はマリアです。

マリアの親戚にエリサベトという老齢の女性がいました。

エリサベトの夫であるザカリヤは、エルサレム神殿で働く祭司でした。

ザカリヤは決められていた期間、神殿の働きを終えて、家に帰ると、妻エリサベトは天使のお告げ通り、男の子を身ごもりました。

生まれてくる子供をザカリヤとエリサベトは喜びました。

夫婦の間に子どもが与えられない、これは当時の価値観の中では、神さまから祝福されていない者たちというレッテルを張られていました。

特に妻のエリサベトはこの事に大きな責任を感じていました。

しかし、子を身ごもったエリサベトは聖書の中で、「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」と言っています。

自分は神さまから愛されていないのではないかと、自信を無くし、恥を抱えて生きていたエリサベトを、神さまはこのような仕方で愛されているという事をお示しになったのです。

その後、大きくなったヨハネは、後から生まれるイエスさまの準備をするために働きました。

神さまの為に祭司として働いた父のザカリヤのように、ヨハネもまた、神さまとイエスさまにお仕えする大切な働きをすることになりました。

おなかの中にヨハネを身ごもったエリサベトとザカリヤ夫婦は、その子が生まれるまで10カ月の間、待ち続けました。

アドベントは、クリスマスを待ち望む期間であり、私たちが待たなければいけない期間とも言えます。

エリサベトとザカリヤはどうして、その日を待つことが出来たのでしょうか。

それは、神さまを信頼していたからです。

自分中心に考え行動するこが、結果的に自分に何ら良いものをもたらさないことを、イエスは隣人を自分のように愛しなさいとの表現で教えてくれています。

さらに「待つ」「自分中心にならない」との関係で言うなら、そしてエリサベトとザカリヤの老夫婦の話を例に考えるなら、「あきらめない」ことの大切さです。

あきらめない、との思いを持つ中で、自分の思いを遥かに超えた力が働くことがあることを、この話が伝えようとしています。

本日は清和で期末試験2日目です。

試験に取り組むことをあきらめない、チャペルクリスマスの取り組みをあきらめずに取り組む、その先に神さまが大きな恵みを用意してくれているのです。

さらに、世界に目を向けると、悲惨なことがあちこちで起こっています。

特にイスラエルのパレスチナ、ガザでの国際人道法を侵す蛮行、大量虐殺、イスラエルの行動に呆れますが、あきらめることは、イスラエルの愚かな行為を正当化する、認めることになります。

平和を願う心をあきらめるのは、神さまの御心ではありません。

イスラエルの蛮行を絶対認めない、ゆるさない、そしてそれを声にして行動する、それが今日の聖書箇所をしっかり受けとめることになるのです。

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